4月17日(土)は、まずは11時から、佐川文庫庫舎前広場にて、あいにくの雨天の中「廣井勇博士銅像除幕式」が開催されたがやき。
受付にて配られた「銅像建立記念誌」によりゃあ、廣井勇(ひろいいさみ)博士は、今から160年ばあ前に佐川町に生まれ、植物学者の牧野富太郎博士と同い年で、郷校「名教館(めいこうかん)」にて共に勉強されちゅうがよ。
8才で父を亡くし、おじさんを頼って1人で上京し、15才のとき授業料が無料の北海道の札幌農学校に第2期生として入学されちゅうがやき。
同級生にゃあ生涯の友となる内村鑑三、新渡戸稲造がおったっちゅうがよ。
21才でアメリカに留学し、働きもって最先端の土木技術を学び、「プレートガーダーコンストラクション」っちゅう橋を造る手引き書を英語で出版し、優れた本やっちゅうことでアメリカの多くの工事現場や学校で使われたっちゅうがやき。
27才で帰国し、北海道の小樽港湾事務所の初代所長になり、小樽港を日本海の荒波から守る北防波堤を建設。経済的で長持ちする丈夫な構造として、完成後100年以上経った今やち、立派に防波堤の役目を果たしちゅうがやき。
これらあの業績は高う評価され、37才の若さで東京帝国大学工科大学の先生になり、その後20年間で600人近い優秀な若者を世に送り出したっちゅうんが、廣井博士の最大の業績やっちゅうがよ。(小樽の運河公園に廣井勇の胸像も建立。)
教え子にゃあ、当時世界最大級の烏山頭ダムを造り台湾南部を穀倉地帯に変えた八田興一をはじめ、伊藤長右衛門、青山士、久保田豊、堀見末子、宮本武之輔、増田淳らあがおるっちゅうがやき。
彼らは、師の廣井勇博士に倣うて、出世することよりか民衆のために生きることを選び、港や堤防、ダム、道路、橋らあ多くの土木工事に力を注ぎ、日本の近代化に大きゅう貢献したっちゅうがよ。
近年は、毎年のように台風らあによる暴風雨災害が発生しゆうし、南海トラフ大地震の発生も予想されちゅうなか、「近代土木の礎を築いた清きエンジニア廣井勇」の業績を通して、土木工事の大切さや廣井勇の生き方を多くの皆さんに知っていただきたいっちゅうことで、多くの方々のご寄付やご尽力により、この度銅像が建立されたっちゅうことながやき。
また、この後13時から「落成式典」が開催予定の、お隣の「ロ481号客車展示施設うえまち駅」にゃあ、廣井勇博士の紹介映像らあが流れる設備や「海水の影響を受けんコンクリートの開発」についての説明コーナーらあも、新たに設置されちょったがよ。
さて、あいにくの雨天のなか、たくさんの方々が集まり、11時から「廣井勇博士銅像除幕式」が開会となったがやき。
まずは、堀見和道佐川町長さんからのご挨拶があったがよ。
続いて、「廣井勇を顕彰する会」の岡村甫会長さんからのご挨拶があったがやき。
お次は、「廣井勇を顕彰する会」特別会員の福田昌史さん、衆議院議員の山本有二さん、岡村統正佐川町議会議長さんらあから、お祝辞があったがよ。
続いては寄付贈呈で、岡村会長さんから堀見町長さんへ、寄付目録らあが贈呈されたがやき。
さあ、いよいよ除幕ながよ。
ワシらあの座わっちゅうテント内からやと、ちくと除幕の瞬間が見えんもんやき、向かいの「司牡丹・平成蔵」の方に移動し、みんなあカメラを構えたがやき。
堀見町長さんや岡村会長さんやご来賓の皆さんが、銅像に掛けられちゅう幕のヒモを、合図と共に引っ張って、廣井勇博士の銅像がドーンと出現したがよ!
素晴らしい銅像の登場に、拍手喝采となったがやき。
その後は、再び席に戻んて、「廣井勇を顕彰する会」の右城猛副会長さんから、「銅像報告」があったがよ。
ほんで最後に、「廣井勇を顕彰する会」の吉村文次副会長さんから閉会のご挨拶があり、11時40分ばあにゃあ、「廣井勇博士銅像除幕式」は、無事閉会となったがやき。
帰りにゃあ、出席者の皆さんに、青山文庫が制作した「近代土木の先駆者 広井勇」っちゅう冊子と、「豊麗司牡丹」(720ml)が配られたがよ。
あらためまして、廣井勇博士の銅像の建立および除幕、まっことおめでとうございますぜよ!
さて続いては同日の13時から、「ロ481号客車展示施設うえまち駅落成式典」が、廣井勇博士の銅像のお隣にて開催されたがやき。
ちなみに「ロ481号客車」たぁ、1906年(明治39年)に製造された、国内に唯一現存する四輪木造二等客車ながよ!
鉄道建設に尽力した佐川町出身の元宮内大臣、田中光顕伯の功績をたたえ、1933年(昭和8年)、鉄道省から佐川町に寄贈され、以後青山文庫(現在の佐川文庫庫舎)横で列車閲覧室として町民に愛され、長いこと使用されたがやき。
けんど、老朽化のため1968年(昭和43年)、再度国鉄へ譲渡され、多度津工場職員の技術と熱意により客車が復元され、工場内で展示されてきたがよ。
ほんで2021年(令和3年)3月、JR四国協力のもと、53年ぶりの佐川町への里帰りを実現させることができたっちゅうことで、この度の展示施設「うえまち駅」の落成式典となったっちゅう流れながやき。
ちなみにこの客車は、「準鉄道記念物」でもあるっちゅうがよ。
さて13時にゃあ、50人ばあの方々がお越しになり、開式となったがやき。
まずは主催者代表挨拶として、堀見佐川町長さんからご挨拶があったがよ。
続いては、来賓紹介があったがやき。
ちなみに今回は、ワシも来賓やったがよ。
お次は、四国旅客鉄道株式会社の半井真司会長さんから、お祝辞があったがやき。
続いては佐川町役場チーム佐川推進課から、「事業概要説明」があったがよ。
お次は、いよいよテープカットながやき。
ワシも来賓としてテープカットに加わったもんやき、カットの画像がないがはお許しくださいや。
無事テープカットは終了し、拍手喝采やったがよ。
最後に、堀見町長さんと半井会長さんが握手(の代わりにグータッチ)され、皆さん写真を撮りまくりやったがやき。
これにて、13時半ばあに、落成式典は閉式となったがよ。
その後は、特別企画として、客車の歴史を振り返る動画が、廣井勇博士のビデオ紹介のコーナーにて、特別に放映されたがやき。
昭和の始め頃のモノクロ映像で、佐川町の映像らあが映し出され、ロ481号客車が現役で走りゆう向こうに司牡丹の会社が映っちゅうシーンらあて、ちくと感動的やったがよ。
また、佐川文庫庫舎が青山文庫やった頃に、その隣で列車閲覧室やった画像らあも流れたがやき。
ワシが子供の頃にこの列車閲覧室にて、「のらくろ」の漫画を読んだ記憶がおぼろげにあったがやけんど、昭和43年に客車は再度国鉄に譲渡されちゅうき、ちゅうこたぁ、そん時ワシゃあまだ5才やったっちゅうことになるがよ。
まっこと懐かしいかぎりながやき!
続いて動画は、この度の運搬シーンになったがよ。
あの巨大な客車が、レッカーされて司牡丹の本社前を通るシーンや、現在の位置に据えられるまでの運搬シーンは、なかなかの迫力やったがやき。
動画終了後は、せっかくやき、客車の中に入らいてもうたがよ。
客車内にゃあ灯りがないもんやき、ちくと暗かったけんど、当時の二等客車っちゅうこたぁ、今で言うたらグリーン車に相当するき、なかなかに豪華な内装で、レトロ感満載やったがやき。
こりゃあ鉄道マニアにとっちゃあ、垂涎の乗車体験になるがやないろかのう!
また鉄道マニアやのうたち、今流行りの「鬼滅の刃・無限列車編」と同時代の客車に乗ることができるっちゅうことになるき、こりゃあなかなかの感動体験になるはずながよ。
「ロ481号客車展示施設うえまち駅」・・・「廣井勇博士銅像」と共に、新しゅう誕生した佐川の観光スポットに、是非是非たくさんの皆さんにお越しいただきたいがぜよ!
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司牡丹酒造株式会社