「相手方の言い分を聞いちゃろう、ちゅう気持ちがのうなったら、もうその人の負けぜよ。」(ラ・ロシュフコー)
フランスの貴族でモラリスト文学者、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー(1613〜1680)さんの言の葉ながやき。
人間誰やち、多かれ少なかれ自分が正しいっちゅう思いこみがあるもんながよ。
ほんで、その思いこみがホンマに、あるべき真実の道ながかどうかは、いろんな意見を聞いて、比較してみて初めて分かるもんながやき。
ほんじゃき、たとえ敵対する意見やったとしたち、そこにゃあ必ず耳を傾けるべき内容があるはずやき、相手方の言い分を聞く耳さえ持たんっちゅうがやったら、そりゃあもはやおまさんの意見は、単なる独断の思いこみでしかないっちゅうことになるがやき。
つまり、おまさんの負けやっちゅうことながよ。
さらに、ロシュフコーさんの言の葉じゃあ、「相手方の言い分を聞いちゃろう」となっちゅうけんど、「聞いちゃろう」っちゅう上から目線の言葉が出ること自体が、既に「自分の意見が正しい」っちゅう思いこみの罠にハマっちゅうことになるがやき。
ほんじゃき、この言葉が出るっちゅうこたぁ、相手方の言い分を聞くだっけは聞くけんど、結局は聞く耳は持ってないっちゅう可能性があるっちゅうことになるがよ。
正しゅうは、「相手方の言い分を(素直に)聞く」っちゅう訳にすべきながやき。
ロシュフコーさんの原文にまであたったわけやないけんど、おそらくそう訳すべきやと思うがぜよ。