「お互いに生きることに疲れちゅう病人やっちゅう自覚あってはじめて、家庭のささやかな幸福が見いだされるがぜよ。」(亀井勝一郎)
昭和期の文芸評論家で、「日本人の精神史研究」で1965年に菊池寛賞を受賞しちゅう、亀井勝一郎(1907〜1966)さんの言の葉ながやき。
家族が病人になりゃあ、誰やち思いやりを持って優しゅう接するはずながよ。
けんど、そうやない時の日常はどうやろうか?
ワシらあは日常、一番身近な家族に対しちゃあ、あまりに身近で当たり前過ぎて、ちくと慮りや優しさを忘れてしもうちゅうがやないろうか?
ましてや今は、長期化しちゅうコロナ禍で、一見元気に見える誰もが実は不安を抱えて、精神的に疲弊してしもうちょったり、生きることに疲れてしもうちょったりしちゅうことが、きっと少のうないはずながやき。
普段はどればあ明るうて元気な人やったち、生きることに疲れてしまうことが、誰やちあるっちゅうことながよ。
そんな時、家族の慮りのほんの一言や、ちょっとしたねぎらいの行動が、どればあ大きな支えや救いになることか!
ほんじゃき、今コロナ禍にあるワシらあは、あまりに身近で当たり前過ぎる人に対して、感謝の言葉や慮りの言葉やねぎらいの言葉を、きちんとかけることができるようになりたいもんながぜよ。