
白隠禅師(はくいんぜんじ)は、この書籍のオビにも書かれちゅう通り、ジョン・レノンやピーター・ドラッカーやサリンジャーなどなど、世界中の人らあに影響を与えた「500年にひとりの名僧」で、著者の齋籐先生も、白隠禅師に救われたひとりやっちゅうがやき。

さらに、「はじめに」に書かれちゅうけんど、なかなか終わりが見えんコロナ禍で、誰もが漠とした不安を抱えもって過ごしよって、どうやって現実と折り合いをつけて、なるべく心を乱さんと生きていきゃあえいがかを、悩みゆうがやないかっちゅうがよ。

ほんで、すでに250年以上も前の江戸時代に、こうした「不安」との向き合い方について、答えを出しちょった日本人がおったっちゅうがやき。
それが臨済宗の中興の祖と言われる、白隠禅師やっちゅうがよ。
さらに齋籐先生は、そんな白隠禅師と、コロナ禍で空前の大ヒットを記録したアニメ映画、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」との不思議な共通点についても、語られちゅうがやき。
この映画のキャッチフレーズは「心を燃やせ」やけんど、まさに白隠禅師が不安や悩みを乗り越えて世のため人のために尽くすことができた理由も、常に「心を燃やし続けたから」やっちゅうがよ。
さらに、白隠禅師っちゅうたら、「呼吸法」の元祖として有名ながやけんど、「鬼滅の刃」の主人公らあの強さの根本も、呼吸にあるがやき。
また、白隠禅師にゃあもうひとつの特徴として、その絵柄や文章にも表れた、そこはかとないユーモア混じりの「軽やかさ」があるっちゅうがよ。
ほんで、これらあのことから、白隠禅師の教えは、コロナ禍における不安を乗り越えるためにも、ウイズコロナ、アフターコロナ時代を生き抜くためにも、こぢゃんと役立つはずやっちゅうがやき。
ほいたら内容についてやけんど、「Q&A」形式で書かれちょって、こぢゃんと読みやすいがよ。
たとえば、「Q:なんで人はだれもが不安を感じてしまうがでしょう?」っちゅう質問に対しちゃあ、「A:実はそりゃあ、人間にとって必要な感情やからです。」っちゅう答えがあり、その後に詳しい解説が入るっちゅう構成ながやき。
不安な気持ちがあるきに、それが注意を呼び起こし、人は失敗や危険を回避するように行動するがやき、不安は自分自身を守るためのの貴重な情報源と言い換えられるかもしれんと、著者は語るがよ。
けんど、そんな不安が、やがて「焦り」や「緊張」に変化すりゃあ、もはや心と体にとって害悪になるっちゅうがやき。
著者は、前者の不安を「正常な不安」、後者の不安を「こじらせた不安」と名付け、後者の不安の出現は未然に防がにゃあならんっちゅうがよ。
ほんで実は、白隠さんは子供時代、この「こじらせた不安」の典型やったっちゅうがやき。
近所のお寺で地獄についての説法を聞いて、その恐怖心にとらわれて泣きやまんかったらしゅうて、トラウマになったようながよ。
子供時代の白隠さんが地獄っちゃう得体の知れん不安にからめとられてしもうたように、いまワシらあも、ただでさえ先が見えん世の中やに、物理的にも目に見えんウイルスの蔓延により、得体の知れん不安にからめとられてしもうちゅうがやき。
ほいたら、そんな不安と、ワシらあはどう向き合うていったらえいがやろうか?
ここで著者は、白隠禅師の説いた「正念工夫(しょうねんくふう)」を挙げるがよ。
正念工夫たぁ、喜怒哀楽らあの雑念が生じる前の状態のことで、心をまっさらな状態にして、あるがままのものを見ることを意味しちゅうがやき。
もちろん日々、あふれ返るばあの情報を取り入れゆうワシらあにとって、バイアスをはさまんと物事を判断しろっちゅうたち、かなり難しいことながよ。
ほんじゃき、せめてちょっとの間だけやち正念工夫すべく、そっと目を閉じて情報を遮断して ほんで改めて、自分にとって大事なもん、欲しいもん、守りたいもん、反対にやりとうないこと、恐れちゅうことらあを考えてみろうやっちゅうがやき。
こうやって正念工夫を続け、自分の内側を見つめ直してみりゃあ、自分が本当に何を望み、ほんで何に対してムダにおびえちょったがか、自分の心が選んでくれるはずやっちゅうがよ。
そこで浮かび上がってきたもんこそが、自身が抱えちゅう不安の正体じゃっちゅうがやき。
白隠禅師は、「坐禅和讃(ざぜんわさん)」の中で「当所即ち蓮華国(とうじょすなわちれんげこく)」っちゅう言葉を記しちゅうっちゅうがよ。
蓮華国たぁ、極楽、つまり最高の状態っちゅうこと。
つまり、「いま自分がおる状態が極楽と感じられりゃあ、それこそが人生における一番の幸せじゃいか」っちゅう意味ながやき。
浮かび上がってきた不安の正体は、おそらくほとんどが自分っちゅう内側やのうて、他者っちゅう外側からの情報で定義される「幸せ」からこぼれ落ちたもんやないかよっちゅうがよ。
白隠禅師が説いた真意は、幸せや、あるいは不安らあは、外の価値判断で決まるもんやのうて、あくまで自分の内側で感じるもんやっちゅうことながやき。
次に、得体の知れん不安に襲われたときらあにちょうどえい簡単な心の調整法、「数息観(すそくかん)」をご紹介さいていただきますぜよ。
【数息観】
➀心静かに落ち着ける姿勢をとる。理想は、胡坐(あぐら)のように足を組んで腰で床に座る坐禅のポーズ。
➁目をつぶりもって、自分の息の出入りを静かに数える。ポイントは息の数え方。まず吐く息に合わいて、心の中で「ひと〜〜」とちくと長めに数え、「つ」で軽う鼻から吸やあリズムが出る。
➂続けて「ふた〜〜」と吐き、「つ」で吸う。息のテンポと数え方は、自分のやりやすいやり方でえい。
➃こんとき、何も考えんと「呼吸そのもの」だっけに集中する。ほいたら頭や心に巣くうちょったネガティブな感情から意識が離れていくきに、自然と心が落ち着いてくる。
実際に白隠禅師が健康法を説いた「夜船閑話(やせんかんな)」じゃあ、腹を空かいて静かな状態で坐禅を組んで、1から1000まで数えりゃあ、体も心もじっと動かんと煩悩もないなり、天地宇宙のすべてと溶け合うて一体感を覚え、心身ともに清らかになるっちゅうがよ。
仏門修行しちゅうきに達せられる境地やろうけんど、ワシらあはそこまでせいじゃち、「とお」まで数えるばあでも、ずいぶん心が落ち着くっちゅうて、著者は語るがやき。
ところで、かつて白隠禅師は、連日厳しい坐禅修行にのめり込み過ぎて、26歳のときに「禅病」にかかってしもうたっちゅうがよ。
当時の様子は、次のように記されちゅうがやき。
「心火逆上し、肺金焦枯して、雙脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し・・・」
現代語に訳しゃあ、「激しい不安や心配ごとのため、心臓は火がついたようにバクバクし、肺の血液が枯れ果てたように苦しい。足先は氷のように冷とうて、両耳は川が流れゆうようにザーザーと耳鳴りが止まらん・・・」っちゅうがよ。
さらに、「いっつも気が弱った状態で、何かしょうにも恐ろしさが伴うて、行動に移すことができん。心身は衰弱し、悪夢を見るきに安眠できん。常に脇の下には汗をかいて、目にゃあずっと涙が浮かんじゅう」っちゅうがやき。
白隠禅師は、この強烈なダメージを、薬や鍼灸で治そうとしたけんど、一向に改善せんきに、名医を探し回り、様々な治療法を試みたっちゅうがよ。
それでも改善の兆しがのうて、絶望しちょったところ、京都の山奥に白幽さんっちゅう仙人がおることを聞きつけ、ワラにもすがる思いで訪ねたっちゅうがやき。
ほいたら白幽さんは、「おまさんは心の使い方を誤ったために病人になったがよ。心気を気海丹田(きかいたんでん)に降ろす真の呼吸法をせにゃあ、どんな治療を受けたち快復はせん。すべての心配ごとを切り捨て、無観にならにゃあいかん。」っちゅうたっちゅうがよ。
ちなみに無観たぁ、頭、心の中を空っぽにすること。無心とゆうたちえいろう。(反対にいろいろと思うたり、考えてしまうことを「多観」っちゅうがやき。)
ほいたら、白幽仙人が白隠禅師に伝えた「真の呼吸法」たぁ、いったいどんなもんやったがか?
そりゃあ、丹田で呼吸すること、「丹田呼吸法」やっちゅうがよ。
【丹田呼吸法】
➀丹田たぁ、へそ下5センチあたりのこと。息を吸うときに、そのあたりに呼気がとどまるように十分意識して、鼻から息を吸う(3秒程度)。丹田に空気をためていくイメージ。胸で呼吸をせんように、姿勢よく。
➁そのまま息を止める(2秒程度)。
➂ほんで、ゆっくり口から息を吐きもって、丹田を意識する(15秒程度。難しけりゃあ10秒から。)。ここが特に重要。
➃この1セットを6回ばあやるがが理想。
この呼吸法により、1回の呼吸で体内に取り入れられる酸素の量は、無意識に呼吸しゆうときよりか、はるかに増えるっちゅうがやき。
さらに、へその下を意識して呼吸をすりゃあ、そこに力が入るきに、お腹の中の圧力も高まり、血液が心臓に強う送り返され、全身の血液循環も活発になるっちゅうがよ。
さらにゃあ、鼻から入る息と口から出る息双方に意識を集中することにより、自律神経にもえい影響を与えるきに、心が落ち着く効果も得られるわけやっちゅうがやき。
丹田呼吸法たぁ、ただへその下あたりを意識して呼吸するだっけやき、難しいことらあ何ちゃあする必要はないっちゅうがよ。
日頃から丹田に気をため、そこから酸素を循環させることをイメージして深う呼吸していきゃあ、心身の調子も自然と整うていく・・・それが白隠流健康法の基本やっちゅうがやき。
さらに、この気海丹田を鍛える方法が、「内観の秘法」やっちゅうがよ。
おまさんの心の真ん中にゃあ「静かな一点」があり、ここは誰っちゃあに傷つけられんっちゅうがやき。
「外側の自分」は誹謗中傷やいじめらあで傷つくこともあるろうけんど、「内側の自分」は、外的な攻撃から絶対に届かん体の一番奥底におるきに、決して傷つかんっちゅうがよ。
そこを鍛えりゃあ、誰から攻撃されたち傷つくこたぁないなるがやき。
これこそが白隠禅師の教えの肝やっちゅうがよ。
白隠禅師は、本来の自分=主心は体の一番奥底の部分、呼吸の際に重要なへその下の丹田(気がたまることから「気海丹田」っちゅうがやき。)に宿っちゅうと考えちょったっちゅうがよ。
そこを鍛えることで、心の不調や難病を克服できると説いたっちゅうがやき。
この気海丹田を鍛える方法が、「内観の秘法」ながよ。
内観の秘法は、「調身」「調息」「調心」の3要素を含んじゅうっちゅうがやき。
「調身」たぁ体を整えること、「調息」たぁ呼吸を整えること、そして「調心」たぁ心の状態を整えることやっちゅうがよ。
まず、布団やベッドに仰向けに寝転がり、次の順に実践するっちゅうがやき。
【内観の秘法】
➀両手両足を“大の字”にならん程度に広げたら、目を閉じ、口元の筋肉を緩めるために少し口を開ける。
➁首から足先まで、全身の筋肉から力を抜き、体をベッドや布団に預ける。
➂続いて丹田、腰から土踏まずまで力を入れ、両手と両足を伸ばし、軽う呼吸をする。その際、丹田から足先までぐっと気を満たすことをイメージする。
➃息を深う吸い込んだら、丹田へ意識を集中し、また静かに細うゆっくりと吐き出していきゃあ、次第に丹田がふくらんでくる。丹田を意識したまんま、いったん手や足から力を抜く。
➄ほんで、再び手や足に力を入れて伸ばし、丹田式呼吸を続ける。上半身は涼やかで下半身は温かいイメージを持ちもって続けていきゃあ、次第に手足がじんわりと温こうなっていく。
内観の秘法は、寝ながら行う坐禅修行の一種やき、「仰臥禅(ぎょうがぜん)」、または「寝禅(ねぜん)」とも呼ばれるっちゅうがよ。
白隠禅師は、次の「内観の四句」を頭の中で念じもってこの呼吸法を行やあ、さらに精神統一ができ、深い内観ができると説いたっちゅうがやき。
➀わがこの気海丹田腰脚足心、まさにこれわが本来の面目、面目なんの鼻腔かある。
➁わがこの気海丹田、まさにこれわが本分の家郷、家郷なんの消息かある。
➂わがこの気海丹田、まさにこれわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。
➃わがこの気海丹田、まさにこれわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。
現代語訳は次の通りながよ。
➀自分の気海丹田、腰、足、土踏まずは、自分本来の姿じゃ・・・
➁自分の気海丹田は、自分の命の住むべき故郷や・・・
➂自分の気海丹田は、自分の心にある浄土や・・・
➃自分の気海丹田は、自分の本当の姿、阿弥陀仏ぜよ・・・
すべて「自分の気海丹田」から始まっちゅうことからも分かるように、とにかく気海丹田、へその下への集中力を高めるための一種の「呪文」やっちゅうて捉えてもらえりゃあえいと、著者は言うがやき。
白隠禅師は、弟子らあにこの内観の秘法を伝える際に、次のように述べたっちゅうがよ。
「これを2、3週間も真剣にやりゃあ、腹にたまった苦悩や不快感、あるいは体の諸症状もすべて治るがやき。
もしそうならんかったら、ワシの首を切り落としゃあえいぜよ。」
かなり過激な言葉やけんど、そればあ自信があったっちゅうことで、事実大半の人の病が全快したっちゅうがよ。
さらに、激しいストレスを軽減させるためのイメージ療法、「軟酥(なんそ)の法」も紹介されちゅうがやき。
【軟酥の法】
➀まずカモの卵ばあの大きさ、今でいやあSサイズばあの鶏卵のような形をした、まるで溶けたバターか温かいとろけるチーズのような色も香りも素晴らしい丸薬、つまり軟酥が自分の頭のてっぺんにあるとイメージする。
➁ほんで、それがゆっくりゆっくり溶けて、じわじわと頭を潤しもって少しずつ少しずつ下へと降りていく。両肩から左右の腕をつとうて、両方の胸から体の中へと浸透していき、横隔膜、肺、肝臓、胃、腸、そして背中から、お尻、骨にまで沁みわたっていくような感じ。
➂この温かい液体が体に浸透していくとともに、胸の中に根を下ろしちゅう悩みや、お腹のあたりでつかえた感じのする気の滞りが、まるで水が低い方へと流れるように、一緒に溶けていく様子を想像してみる。
➃軟酥が足の裏まで満たされりゃあ、そこで流れも止まる。この時点で、温こうて柔らかい液体が満ちあふれたお風呂に、体全体を浸しているような感じ。ほいたら、いい香りに包まれもって、心地よう体全体を軟酥でやさしゅう撫でられゆうような、気持ちのえい感覚になる。(※姿勢に関しちゃあ、特に指定はないきに、著者は普通に椅子に座りもってやりゆうとのこと。いずれにしたち、リラックスできて想像力が働くこと、上半身を立てて、「上から下へ」をイメージすることがポイント。)
さらに著者は、独自のアレンジ版として「実食版軟酥の法」も紹介されちゅうがよ。
白隠禅師は「軟酥」のレシピも紹介されちょって、実は軟酥の「酥」たぁ、もともとはバターやチーズのような乳製品のことながやけんど、白隠禅師のレシピじゃあ、ヘチマの皮以外はすべて仏教用語やっちゅうがやき。
たとえば忍辱(にんにく)は「外との摩擦に耐え忍ぶ」っちゅう仏教用語で、ニンニクとかけちゅうっちゅうがよ。
つまり、白隠禅師が説明しちゅう軟酥たぁ、実は仏教の教えがぎっしりと詰まった架空の食べ物やっちゅうがやき。
酥は乳製品やけんど、いまと違うて当時は超高級品やったっちゅうことは、軟酥の法たぁある意味、普段は手を出せんような食べ物が食卓にあふれちゅう“最高の贅沢”っちゅうイメージやったがかもしれんっちゅうがよ。
ほんで、著者が提案する「実食版軟酥の法」は、スイーツでも何でも、ちくと贅沢な一品を、まさに軟酥の法を行うように、ゆっくりと味わうががコツやっちゅうがやき。
目の前にあるケーキを一口食べるたびに、「甘さが口から徐々に下りていき、全身を包み込んでいく。おいしい!」っちゅうて感じるっちゅうことながよ。
また、絶妙な焼き加減のステーキをゆっくりと噛みしめもって、「肉の旨味が体に沁みわたっていくにゃあ」っちゅうて後味にひたるとかながやき。
それだけやち、イヤなことらあ忘れて、たちどころに気分はリフレッシュされていくやろうっちゅうがよ。
しかも、ゆっくりと食べるき、暴食もせんですむっちゅうがやき。
こりゃあ、以前「お薦め書籍」(https://tsukasabotan.livedoor.blog/archives/51984893.html )として紹介さいてもうた「〈責任〉の生成〜中動態と当事者研究〜」(國分功一郎 熊谷晋一郎 著 新曜社 2020年12月1日発行 2000円+税)にも出てくる、まさに「味わうことが持つ力」と同じことを伝えてくれゆうがやと気づき、ちくと感動したがよ!
こちらの書籍にゃあ、大量の水を飲んでしまう水中毒の人に「申告飲水制度」を薦めりゃあ、症状が軽減するっちゅう事例が紹介されちょったがやき。
みんなあで冷とう冷やした水を「おいしいねえ」っちゅうて言いもって、じっくり味わって飲むことで、水中毒が軽減するっちゅう事例ながよ。
つまり、水中毒の人は美味しさを「味おうてない」っちゅうことで、いかに「味わう」っちゅうことが重要かが分かるがやき。
味わうことで、出来事が起こる場としての「私」を、人は取り戻すっちゅうことながよ。
ちくと脱線してしもうたけんど、この書籍「心を燃やす練習帳」にゃあ、この他にもまだまだ、「草取唄」やとか、「禅の公案・隻手の声」やとか、禅画にこめられた意図についてやとか、「静中の工夫」より「動中の工夫」やとか、「放下」やとか、「円相」やとか、白隠禅師の地域活性化的な生き方やとか、災害大国日本における心構えについてやとか、欲のコントロールについてやとか、「延命十句観音経」やとか・・・まだまだご紹介したい内容がテンコ盛りながやき。
「心を燃やす練習帳〜不安がなくなる白隠禅師の教え〜」・・・是非ご一読を、強力にお薦めしますぜよ!
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