2021年05月23日

幸せの言の葉〈1481〉

「救いたぁ愛ぜよ。とはゆうたち、誰かから愛されることが救いになるっちゅう意味やないがやき。救いっちゅうんは他から何かを与えられることやないがよ。自分が誰かを、あるいは何かを愛せるっちゅうことが救いそのもんながぜよ。」(へルマン・ヘッセ)


ドイツ生まれのスイスの作家で、主に詩と小説によって知られちゅう、20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者であり、1946年にゃあノーベル文学賞も受賞しちゅう、へルマン・ヘッセ(1877〜1962)さんの言の葉ながやき。


「救い」っちゅうたら、ワシらあはスッと「救いの手がさしのべられる」っちゅうイメージで、誰かが助けてくれるっちゅうふうに考えてしまいがちながよ。


また、「愛」っちゅうたら、ワシらあはスッと「愛される」イメージで、誰かから愛されるっちゅうふうに考えてしまいがちながやき。


けんど、かのへルマン・ヘッセさんはどちらもそうやない、むしろその真逆やっちゅうがよ。


「救い」にしたち、「愛」にしたち、他から何かを与えられるっちゅうイメージで考えちゃあイカンっちゅうことながやき。


自分が誰かを愛せるっちゅうこと。


自分が何かを愛せるっちゅうこと。


自分が誰かに何かを与えることができるっちゅうこと。


それらあができるっちゅうこたぁ、既におまさんは救われちゅうっちゅうことながよ。


それこそがホンマの「救い」であり、ホンマの「愛」やっちゅうことながぜよ。




Posted by tsukasabotan at 09:00│Comments(0)