「救いたぁ愛ぜよ。とはゆうたち、誰かから愛されることが救いになるっちゅう意味やないがやき。救いっちゅうんは他から何かを与えられることやないがよ。自分が誰かを、あるいは何かを愛せるっちゅうことが救いそのもんながぜよ。」(へルマン・ヘッセ)
ドイツ生まれのスイスの作家で、主に詩と小説によって知られちゅう、20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者であり、1946年にゃあノーベル文学賞も受賞しちゅう、へルマン・ヘッセ(1877〜1962)さんの言の葉ながやき。
「救い」っちゅうたら、ワシらあはスッと「救いの手がさしのべられる」っちゅうイメージで、誰かが助けてくれるっちゅうふうに考えてしまいがちながよ。
また、「愛」っちゅうたら、ワシらあはスッと「愛される」イメージで、誰かから愛されるっちゅうふうに考えてしまいがちながやき。
けんど、かのへルマン・ヘッセさんはどちらもそうやない、むしろその真逆やっちゅうがよ。
「救い」にしたち、「愛」にしたち、他から何かを与えられるっちゅうイメージで考えちゃあイカンっちゅうことながやき。
自分が誰かを愛せるっちゅうこと。
自分が何かを愛せるっちゅうこと。
自分が誰かに何かを与えることができるっちゅうこと。
それらあができるっちゅうこたぁ、既におまさんは救われちゅうっちゅうことながよ。
それこそがホンマの「救い」であり、ホンマの「愛」やっちゅうことながぜよ。