「問題らあっちゅうもんは存在せん。あるがは解決だけながよ。人間の精神がそのあとに問題をつくるがやき。いたるところに人間は問題を見いだすがよ。愉快なことぜよ。」(アンドレ・ジッド)
「狭き門」「田園交響楽」らあの代表作を持つフランスの小説家で、1947年にノーベル文学賞を受賞しちゅう、アンドレ・ジッド(1869〜1951)さんの言の葉ながやき。
確かに、ようよう考えてみりゃあ、この世で問題やと思われちゅうことらあて、全て人間がつくりだしたもんやと言えるがよ。
環境問題、経済問題、平等問題、福祉問題・・・その他の細々した問題らあやち、あらゆる問題は、実はもともと人間が自らつくりだしたもんながやき。
ほんじゃき、この世界にゃあもともとは、問題らあっちゅうもんは存在せんがよ。
もともとの世界にあったもんは、解決だけながやき。
人類が現れ、進化し、精神を持ったことで、問題がつくり出されることになり、いたるところに問題が現れるようになったがよ。
ほいたら、問題を解決するためにゃあ、人間がおらんなるしかないっちゅう発想は、あまりに貧困な発想やし、何の意味もないがやき。
全ての問題は人間の精神がつくり出したもんやきこそ、その問題を無くすこともまた、人間の精神にゃあ絶対に可能やと考えるべきながよ。
そう考えたとき、もともとの世界にゃあ問題らあっちゅうもんは存在せんと、解決だっけがあったっちゅう事実が、世界にとって大いなる福音となるがぜよ。