様々な自然災害やコロナ禍が蔓延しちゅう現代、世の中にゃあネガティブな視線が横溢し、「世界は災厄に満ちちゅう!」と受け取ってしまう人々が、このままじゃあ増加する一方ながやき。
ほいたら、未来に希望が持てん人が増え続けることになるわけやき、そうなりゃあ生きがいも何もあったもんやないがよ。
そこで、そんな世界を正しゅう捉え直すための恰好の書籍、「世界は善に満ちている〜トマス・アクィナス哲学講義〜」(山本芳久 著 新潮選書 2021年1月25日発行 1,600円+税)を、今回はご紹介さいていただきますぜよ。
このタイトルに、「何を脳天気なことを言いゆう!」っちゅうて反発を覚える人が多いかもしれんけんど、そういう方にこそ、ご一読を強うお薦めするがやき。
本書で語られちゅう内容は、薄っぺらなポジティブシンキングたぁかけ離れた、深い人間洞察と深い思索によって支えられちゅうと言え、人間や世界に対するニヒリスティックな思考も、明解な論理で説得力をもって溶かしてくれるがよ。
なお、このワシのブログやFacebookで、その真の内容の深さを伝えるこたぁ不可能やきに、興味を持たれた方は是非本書をお読みいただくことをお薦めさいていただきます。
学生と哲学者の対話っちゅう形式をとっちゅうきにこぢゃんと分かりやすうて、気負いのう読み進めることができるはずながやき。
ほいたら内容についてやけんど、まずトマス・アクィナスは、西洋中世の神学者・哲学者で、本書はトマスの主著「神学大全」をベースに書かれたもんやけんど、キリスト教の解説本じゃあないがよ。
「神学大全」から人間の「感情」について書かれた部分を取り出し、人間にとっての「愛」と「善」の意味を考えていくっちゅう内容ながやき。
まず、「愛」に対立するがは「憎しみ」やけんど、よう考えてみりゃあ、憎しみは愛があるきにこそ生じるけんど、その逆に、愛は憎しみがあるきに生じるっちゅううふうにゃあなってないがよ。
ここにゃあ非対称性があるがであって、愛のほうが憎しみよりか圧倒的に優位にあると言えるがやき。
ほんじゃき、なんぼ人が憎しみにとらわれちょったとしたち、その人の心の底にゃあ人間に対する深い愛が存在しちゅうがよ。
人が憎しみにとらわれるがは、ちょうど足に小さなトゲが刺さっちょったら、こぢゃんと痛むようなもんで、憎しみがいっとき大きなもんとして見えゆうにすぎんっちゅうがやき。
むしろその底に潜む愛こそが、人間存在を突き動かしゆう真の起動力であり、愛はあらゆる感情の根源にあると説くがよ。
この点に目を向けることで、世界の見方はガラリと変わるっちゅうて著者は言うがやき。
自分の心が憎しみ一色に塗りつぶされそうになるとき、憎しみっちゅう否定的な感情のみじゃのうて、愛っちゅう肯定的な感情が心のうちに潜んじゅうことに気づけることだけやち、大きな救いとなるがよ。
人間がどればあ悪しき在り方に陥ってしもうたとしたち、その悪しき在り方の根底にゃあ、何らかの善に対する愛があるがやき。
たとえ歪んだ仕方になっちょったとしたち、何らかの善に対する愛から、その行為や発言が行われゆうがよ。
そのような枠組みで自分や他者のことを見直しゃあ、いろいろなことをより積極的な観点から捉え直すことができるようにもなるがやき。
その「善に対する愛」を軸にしもって、歪んだ在り方を修正し、全体としてより善い在り方を構築し直していきゃあえい。
人間にゃあそのような自己回復力が与えられちゅう。
そう考えるがが「肯定の哲学」ながよ。
また、ワシらあの日常は、実は「気に入ること」によって支えられちゅうと言うたち過言やないと著者は語るがやき。
トマスの定義によりゃあ、「愛」たぁ、「欲求されうるもの(=善)が気に入ること」、つまり「魅力的なものが気に入ること」ながよ。
ほんで、そりゃあ別の角度から見りゃあ、「魅力的なもんがワシを喜ばせること」となるがやき。
いわば、この世界の中にある対象の側がイニシアティブを取って、ワシを喜ばせてくるっちゅうことながよ。
この世界にゃあ、様々な魅力的なもんが充ち満ちちょって、それがワシらあの心を触発し、愛っちゅう感情を生んでいくがやき。
「愛」たぁ、いわばこの世界とワシらあをつなぐ絆のようなもんながよ。
この世界のなかにワシの心と響き合う何かがある、えいにゃあと思える誰かがおる。
たとえ手に入れることはできんかったち、今はまだ手に入らんかったち、素敵やと思える人やものと出会えちゅうこと自体が一つの達成であり、出会えることが「幸福」ながやと著者は語るがやき。
ほんで、いま自分に見えちゅうもんが、この世界のすべてじゃあないがよ。
この世界のうちにゃあ、まだ自分にゃあ見えてない様々な価値、様々な「善」が存在しちゅうがやき。
ある種の訓練(たとえばソムリエ的な味覚の訓練など)を積むことによって、または「徳」を身につけることによって、もしくは自分の心にふとした機会に訴えかけてくる何らかの善との出会いによって、より多様で豊かな善の世界へと自らが開かれていくがよ。
ワシらあの生きちゅうこの世界にゃあ、未知なる善が計り知れんばあ埋もれちゅう。
・・・そういう感覚を持って生きることができりゃあ、人生の奥行きや広がりらあが随分と変わってくるがやき。
これが「肯定の哲学」ぜよっちゅうがよ。
ほんじゃきこそ著者は、この世界の様々な事物に「欲求可能性」を感じることができるかどうかが、ワシらあが生きていく上で、死活的に重要なことやと語るがやき。
トマスは、人間が「愛」っちゅう感情を抱くがは、外界の「善(=欲求されうるもの)」の働きかけを受け、その「刻印」が心に刻まれることであるとも表現しちゅうがよ。
アリストテレスらの哲学から刻印を受けたトマスが、それを発展させ新たな哲学を紡ぎ出していく。
そのトマスから刻印を受けた著者が、本書を執筆することによって、新たな刻印が読者一人ひとりの心の中に刻み込まれていく。
その著者から刻印を受けたワシがこの「blog&Facebook」を書き、読者の皆さんの心の中にも何らかの刻印が刻み込まれていく。
・・・このような「刻印の連鎖」によって、一人ひとりの人生がより豊かになっていき、世の中がより豊かになっていくっちゅうことながやき。
さて最後に、ワシらあ日本酒業界のやるべき仕事を、トマス的に表現してみたいと思うがよ。
ワシらあのやるべき仕事たぁ、日本酒の「欲求可能性」にまだ気づいてない、つまり日本酒っちゅう「欲求されうるもの」の本当の魅力にまだ出会うてない、そういう方々に働きかけ、日本酒を活用した生活を気に入ってもらうこと、その方々の心に日本酒の魅力っちゅう「刻印」を刻み込むことじゃっちゅうて、表現できるがやないろかのう。
ほんで、その仕事たぁ、人々の人生を豊かにし、場合によっちゃあ生きがいすら与えることができ、世の中も豊かになっていくっちゅう、「大いなる愛の行為」じゃっちゅうて言えるがぜよ!
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