「愚痴はどればあ高尚な内容やち、またどればあの理由があったち決して役にゃあ立たんぜよ。」(エマーソン)
19世紀アメリカ合衆国の思想家・哲学者・詩人の、ラルフ・ワルド・エマーソン(1803〜1882)さんの言の葉ながやき。
この言の葉を最初に見たとき、確かにそのとおりかもしれんけんど、たまにゃあ愚痴を吐き出すことでストレスの発散につながるっちゅう、役に立つ効果があるがやないろうかと、ちくと疑問に思うたがよ。
けんど、かのエマーソンさんが、そればあのことに気づいてないはずはないがやき。
ほいたら何でエマーソンさんは、「決して役にゃあ立たん」と断言したがやろうか?
じっくり考えてみて、ワシなりの答えを出してみたがよ。
そりゃあつまり、確かに愚痴を言うことで、自分にとっちゃあストレス発散につながるとかの、役に立つ効果があったとしたち、愚痴を言うにゃあ必ず誰か相手が必要になるき、その相手の気持ちを含めて考えりゃあ、総体的に見た場合、愚痴は世の中の役にゃあ立ってないがやないかっちゅうことながやき。
たとえば、愚痴を言うことで、自分のストレス発散っちゅうプラスの効果が、世の中にとってプラス10あったとしたち、その愚痴を聞かされる相手の側から見りゃあ、嫌な気持ちになるらあのマイナスの効果が、世の中にとってマイナス15ばああるがやないかっちゅうことながよ。
ほいたら、結局愚痴は総体的に見て、世の中に決してプラスにゃあならんと、マイナスの効果しか与えてないっちゅうことになるがやき。
愚痴は、自分のストレス発散になるかもしれんけんど、そりゃああくまで、愚痴を聞く相手から奪い取ったプラス効果で、その相手に与えるダメージは、そのプラス効果を超えるマイナスの効果を生むっちゅうことながぜよ。