

https://shudo-kurogane.jp/shudo/gate02/gate02_10.html
ほいたら、その内容についてを、ちくと以下にご紹介さいていただきますぜよ。
【酒を悪者にしない「哲学」の必要性】
2010年のWHO総会において「アルコールの有害な使用を低減するための世界戦略」が採択されて以来、酒類に対する考え方は、世界中で年々厳しゅうなっちょって、健康被害が喧伝され、規制は厳しゅうなり続けゆうがよ。

さらに長期化するコロナ禍で、歯止めのかからん家飲みによるアルコール依存症の問題が喧伝され、さらにさらに、「まん延防止等重点措置」や「緊急事態宣言」下にて飲食店での酒類提供が禁止され、酒類だっけが悪者扱いされゆうがやき。
このままの方向性で進んでいきゃあ、たとえコロナ禍が収束したとしたち、酒類にとってこぢゃんち厳しい世の中が待ちゆうと言わざるを得んがよ。

ワシらあ酒の業界のもんはもちろん、「酒道」の道を歩もうとされちゅう皆さんや日本酒ファンの方々らとも一丸となって、酒類の規制や健康被害等についてしっかりと学びもって、酒類の健康効果等を訴えることも必要やろうけんど、それだっけじゃあまだまだ弱すぎるがやき。
やっぱしワシらあにゃあ、酒を悪者にせん、一本芯の通った揺るぎない「哲学」がどうしたち必要じゃと言えるがよ。
ワシが「酒道 黒金流」を創始したがも、このような流れの中で、酒を悪者にせん、揺るぎない「哲学」が必要やと感じたこともその一因となっちゅうがやき。


そんな揺るぎない「哲学」を獲得するために、日本酒業界の真の存在意義について、今回は探っていきたいがよ。
【「アルコール健康医学協会」の大切な役割】
その前に、まずは「公益社団法人アルコール健康医学協会」(http://www.arukenkyo.or.jp/ )をご紹介さいていただいちゅうがやき。
その事業内容は、「適正な飲酒習慣に関する思想の普及・啓発、アルコール飲料に関する正しい知識の普及・啓発、20歳未満の者の飲酒の防止に関する啓発、アルコール飲料と健康等に関する調査研究、また酒類業界の自主基準に照らしたアルコール飲料に関する広告・宣伝の審査等」を目的とした事業を展開しよって、設立以来40年にわたり、継続して保険医療関係者及び酒類業者等が協調し、情報誌等の刊行・配布、講演会の開催、医学情報のホームページでの提供、広告審査業務らあの活動を行いゆうがよ。
つまり、40年間の長きにわたり現在も、保険医療関係者と酒類業者等が共に手を携えて「適正飲酒」の普及・啓発等に尽力してきちゅうっちゅうことやけんど、この事実はあんまり知られちゃあせんけんど、是非一度はホームページをご覧いただきたいがやき。
【「集いの中で酒を酌み交わす」という行為の重要性】
こっからが本論で、まずは、「チンパンジーの鏡像認知実験」を紹介さいてもうちゅうがよ。
この実験は、「コロナ時代の哲学〜ポストコロナのディストピアを生き抜く〜」(大澤真幸・國分功一郎 著 左右社 2020年7月30日発行 1,300円+税)っちゅう書籍に掲載されちゅうがやき。
こりゃあ、鏡を見たときに鏡像が自分自身やと分かるかどうかをチンパンジー相手に試したっちゅう実験ながよ。
一般にチンパンジーは、このテストに合格するがやき。
つまり鏡に写った自分の姿を自分やと認識できるがよ。
ところが、生後すぐに母親から引き離され、隔離された状態で成長したチンパンジーは、このテストに合格することができんかったっちゅうがやき。
ほいたら仲間のチンパンジーを見たことがなかったにそうなったがやないかっちゅうことで、隔離されちゃあおるもんの、仲間のチンパンジーをガラス越しに見ることはできる環境で成長したチンパンジーに同じテストを試したところ、このチンパンジーも合格できんかったっちゅうがよ。
こっからは、チンパンジーの自己認識や他者感覚が、接触をとものうた他者経験によって生み出されちゅうがやないかっちゅう仮説が導き出せるがやき。
おそらく、人間の自己認識や他者感覚も同じやと言えるがよ。
じゃれあうとか、肩がぶつかるとか、対峙するとか、あるいは抱き合うとか、集いの中で酌み交わすとか・・・そうした身体経験が自我、ひいては社会性の起源にあるがやないろうか。
つまり、身体を持った人間が直に触れ合うっちゅう身体性の次元が自我や他者性、ひいては社会性に不可欠ながやないか、ちゅうことながやき。
長期化するコロナ禍で、目下ワシろあが目指しゆう非接触型の世界は、何か根本的なもんが失われてしまうっちゅうことながよ。
ほんで、ワシらあがより多くの人らあと心を許して直に触れ合うっちゅうシーンは、日常の中のどこにあるかっちゅうたら、そりゃあ「集いの中で酒を酌み交わす」っちゅうシーンであると言えるがやき。
「集いの中で酒を酌み交わす」っちゅう行為は、身体を持った人間が直に触れ合うっちゅう重要な行為の一形態であり、それは自我や他者性、ひいては社会性の形成に不可欠な行為やっちゅうことであり、つまりは「不急」じゃああるかもしれんけんど、断じて「不要」やないと断言できるっちゅうことながぜよ。
この後も、気鋭の哲学者國分功一郎氏と、障がい当事者研究の第一人者熊谷晋一郎氏の対談本、「<責任>の生成〜中動態と当事者研究〜」(國分功一郎 熊谷晋一郎 著 新曜社 2020年12月1日発行 2,000円+税)っちゅう分厚い書籍を基に、「『味わう』という行為の重要性」について、詳しゅうにご紹介さいてもうちゅうがよ。
さらに、「世界は贈与でできている〜資本主義の「すきま」を埋める倫理学〜」(近内悠太 著 News Picks Publishing 2020年3月13日発行 1,800円+税)っちゅう書籍の中に紹介されちゅう「賦(ふ)」っちゅう所作を基に、「『美味しさの感動を描写し伝える』という行為の重要性」についても、詳しゅう解説さいてもうちゅうがやき。
さて、これらあの内容について、さらに詳しゅう知りたい方は、下記をクリックし、「酒道 黒金流」の「酒を悪者にしない『哲学』〜『集い』『味わう』『描写』の重要性〜」の、YouTube動画やPDF原稿を、是非是非ご覧いただきたいがぜよ。
https://shudo-kurogane.jp/shudo/gate02/gate02_10.html
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