「見えんかったら始まらん。見ろうとせんかったら始まらん。」(ガリレオ・ガリレイ)
トスカーナ大公国(イタリア)の物理学者・天文学者・哲学者で、「近代科学の父」とも呼ばれる、ガリレオ・ガリレイ(1564〈ユリウス暦〉〜1642〈グレゴリオ暦〉)さんの言の葉ながやき。
何じゃち、物事を追究しょうと思うたら、まずはその物事をじっくり観察せにゃあ始まらんがよ。
つまり、ただ単に「見る」だけやのうて、本質が洞察できるばあ、深うに「見る」ことが必要やっちゅうことながやき。
また、実は人間は、見ろうとしてなかったら、目の前にあるもんやち見えんなってしまうもんながよ。
その実例としちゃあ、「見えないゴリラ」の実験が有名ながやき。
実験の参加者にゃあ、白シャツチームと黒シャツチームがバスケットボールの試合をする短い映像を見てもらうがやけんど、白シャツの選手がパスをする回数を数えてもらう(黒シャツ選手のパスは無視)っちゅうだっけのことながよ。
ほんで、この映像の途中にゃあ、突然ゴリラ(もちろん着ぐるみ)が現れ、選手の間に入り込み、カメラの方に向こうて胸を叩いて、そのまんま立ち去るっちゅうシーンが9秒ばああるがやき。
この実験の結果は衝撃的ながよ!
何と、ゴリラの存在に気づいたがは、参加者の半数しかおらんかったっちゅうがやき!
この実験は、人間は「予期せんもんは見えんなる」っちゅうことを表しちょって、「非注意による盲目状態」と呼ばれるがよ。
けんど、この実験でそれ以上に重要なことは、参加者の一部にゃあ、絶対に自分の見たときゃあゴリラは出てなかったっちゅうて主張し、陰でビデオテープをすり替えたがやっちゅうて、譲らんかった人もおったっちゅう事実ながやき。
つまり、人は予期せんもんは見えんがやき、あらゆることをあらかじめ想定し、予期しちょかにゃあいかんっちゅうことに加え、「自分は何も見逃してない」っちゅう誤った自信、思い込みの恐ろしさも、しっかり自覚しちょかにゃいかんっちゅうことながぜよ。