2022年07月04日

故・竹村維早夫の社葬と功績ぜよ!

令和4年6月25日(土)は13時より、ワシの父であり先代社長である竹村維早夫の社葬が、葬祭会館大蔵さんにて執り行われたがやき。


父の急逝に際し、たくさんの皆様からご弔意やご厚情を賜り、衷心より厚う御礼申し上げますぜよ。
写真1  竹村維早夫遺影

祭壇にゃあ、両脇に「司牡丹」の四斗樽が飾られ、百花の中にゃあ父が生み出した看板商品「船中八策」の一升瓶が12本配置され、その真ん中に遺影が置かれちょったがよ。


ダイゾー葬祭の中田社長、素晴らしい祭壇を、まっことありがとうございます。
写真2 社葬祭壇

また、葬儀委員長をお務めいただいた澤村拓夫様、弔辞を述べていただいた青木章泰様(高知商工会議所最高顧問)、飯田永介様(株式会社岡永代表取締役社長)にゃあ、心から深う深う感謝申し上げます。


先代社長である父・維早夫は、今年満90歳を迎えたがやけんど、頭の方は全くボケものう明晰やったけんど、足腰はかなり弱っちょったき、半年ばあ前に母・常子と共に高知市内の食事&介護付き施設に入ったばっかしやったがやき。


また、久々に佐川町の会社の方に顔を出したいっちゅうことで、6月20日(月)にゃあ出社する計画を立て、それを楽しみにしちょったたようながよ。


そればあ普通に元気やったもんやき、何の心配もせんまんま、ワシゃあ6月16日から3泊4日の予定で東京出張に出ちょったがやき。


3年ぶりに開催される「日本酒フェア2022」に、高知県酒造組合理事長として参加するためやったがよ。


そんな6月17日の朝9時過ぎ、ワシの携帯電話に介護施設から突然電話が入ったがやき。


父が朝食を済まいた後、いつものように居眠りをしよったところ、様子がおかしいっちゅうことで、救急車で病院に運ばれたとのこと。


ほんでそのまんま、文字通り眠るように逝ってしもうたがよ。


死因は、急性心筋梗塞の可能性が高いっちゅうことで、まったく苦しむようなことものう眠ったまんま、卒寿の年にこの世から卒業してしもうたがやき。


本人にとっちゃあ、ある意味幸せな大往生やったといえるがよ。


ちなみに父は、昭和7(1932)年3月26日、「司牡丹」の中興の祖であり育ての親である竹村源十郎(私の曾祖父)の、長男・威智郎(私の祖父)の長男として誕生しちょって、この年はちょうど佐川醸造株式会社から司牡丹酒造株式会社に社名変更をした年に当たるがやき。


つまり、父・維早夫の生涯は、まさに司牡丹酒造と共に歩んだ90年であったといえるがよ。(※もともと父の名前は「功(いさお)」やったけんど、長年「維早夫(いさお)」の名を使いよって、平成10年3月より正式に「維早夫」に改名しちゅうがやき。)


父・維早夫の功績は、昭和37年に大吟醸酒を市販して業界の先駆けとなったり、昭和47年に株式会社岡永さんと共に銀座三越のレストランで「東京司牡丹の会」を開催して「日本酒会」の先駆けとなったり、昭和50年にゃあ株式会社岡永さんと共に「日本名門酒会」を立ち上げて地酒ブームの牽引車となったり、昭和59年にゃあ株式会社岡永さんと共に海外輸出を開始して日本酒海外普及の先駆けとなったり、昭和63年にゃあ今や司牡丹の大看板商品となっちゅう「船中八策」を「日本名門酒会」オリジナル商品として新発売したり……ちゅう具合に、それこそ多々あるがやけんど、ここじゃあ2点だっけ、以下に特筆さいていただきたいがよ。


まず一点目は、土佐の「おきゃく」文化の代表である「可杯」を誕生さいて、地元土佐の高知の酒文化に、大きな功績を残したっちゅう点ながやき。


維早夫は、昭和51(1976)年、「司牡丹・可杯(べくはい)セット」を新発売したがよ。
写真3  可杯

「可杯」たぁ、飲み干さんと下に置けんお座敷遊びの座興用の杯ながやき。


天狗・おかめ・ひょっとこの三面杯を、コマを回して当たった人が出た目の杯で飲むっちゅうもんながよ。


「可杯」は元々は全国各地に存在しちょったようなけんど、ほとんど廃れてしもうちょってたもんを復活さいたがやき。


これが、土佐人の飲んべえ気質にピッタリとはまって、高知市内の料亭らあを中心に大人気を博すがよ。


ほんで、「べろべろの神様の歌」と合体し独自の進化を遂げ、今や「可杯」は、「箸拳」や「しばてん踊り」と共に、土佐の「おきゃく」文化、土佐伝統お座敷文化の代表となっちゅうがやき。


ちなみに維早夫の亡くなる1週間ほど前に、同級生で大親友の北村文和さん(北村染工場先代)も亡くなられちゅうけんど、この方は「しばてん踊り」には欠かせん「しばてん手ぬぐい」を開発し、流行らせたっちゅう方ながよ。


土佐の「おきゃく」文化を代表する二大お座敷文化を生み出した2人が、コロナ禍の同時期に亡くなったっちゅうことの意味を、ワシらあ土佐人はしっかりと受け止めにゃあならんがやき。


長期化するコロナ禍で、世の中は非接触型の社会を目指して進みつつあり、土佐の「おきゃく」文化のように極めて密な宴席らあ不要やと考える人々も増えゆうようなけんど、断じてそんなこたぁないがよ!


身体を持った人間が直に触れ合うっちゅう身体性の次元は、自我や他者性、ひいちゃあ社会性の形成にとって不可欠ながやき。


非接触型の世界じゃあ、人間にとって大切な、何か根本的なもんが失われてしまうっちゅうことながよ。


人は皮膚から癒されるっちゅう、心理学の知見もあるばあながやき。


土佐の「おきゃく」文化みたいに、極めて密に愉しみもって、「集いの中で酒を酌み交わす」っちゅう伝統文化を、決して消え去らせてしもうちゃあならんと、ワシゃああらためて意を強うしちゅうがぜよ!


……ところで、6月25日の社葬の真っ最中、突然ゴロゴロと雷が鳴り響き大雨が降るっちゅう時間がほんの一時あったがよ。


きっと天国で維早夫と文和さんが、「可杯」と「しばてん踊り」を愉しみもって、大いに酌み交わして「おきゃく」をしよったがやないろうか、のう!


もう一点は、土佐酒全体のレベルアップにも、こぢゃんと貢献しちゅうっちゅう点ながやき。


司牡丹酒造は、灘の酒蔵の独占状態やった兵庫県産山田錦の「村米制度」の一角に、早うから食い込んで、最高ランクの酒米の入手ルートを確立しちょったがよ。


平成3(1991)年〜平成12(2000)年、維早夫は高知県酒造組合連合会会長(現・高知県酒造組合理事長)に就任しちゅうがやけんど、この会長在任時に、当時極めて入手困難やった兵庫県産山田錦を、希望する県内酒蔵に各社がタンク1本は仕込める量を割り振るっちゅう英断を実行しちゅうがやき!


当初は自社の山田錦使用量を減らさざるを得んかったようなけんど、兵庫県の農協に通いつめて直談判し、ちびっとずつ山田錦の入手量を増やしていったっちゅうがよ。


そして本年、令和3酒造年度「全国新酒鑑評会」において、高知県酒造組合は入賞比率、金賞受賞比率ともに日本一を獲得するっちゅう快挙を成し遂げたがやき!
写真4  入賞&金賞受賞率日本一!

こりゃあ、県全体の日本酒のレベルの高さ日本一の証明であるともいえるがよ。


そしてこの快挙は、20年以上前の維早夫の兵庫県産山田錦割り振りの英断っちゅう基盤があったきにこそであるといえるがやき!






土佐の「おきゃく」文化を代表する「可杯」、そして土佐酒全体のレベルの高さの基盤をつくってくれたっちゅう2点は、高知県に竹村維早夫が遺してくれた、大きな大きな置き土産であり、今後も未来永劫受け継いでいくべき宝物ながぜよ!


合掌。













土佐の高知の日本酒蔵元「司牡丹」の公式ホームページは、こちらをクリック!
司牡丹酒造株式会社


Posted by tsukasabotan at 14:22│Comments(0)