「君主のもっとも崇高な資質たぁ、過ちを許すことぜよ。」(アクバル)
北インド、ムガル帝国の第3代君主で、アクバル1世やアクバル大帝とも呼ばれゆう、アクバル(1542〜1605)さんの言の葉ながやき。
トップが過ちを一切許さんような組織は、こりゃあ下で働くもんはツラいがよ。
ほんじゃきそういう組織じゃあ、往々にして人が定着せんとドンドン辞めていくか、硬直化した官僚組織みたいになっていくがやき。
ほいたら逆に、トップが過ちを容認するような組織はどうかっちゅうたら、過ち自体が日常茶飯事になってしまうき、組織としちゃあ成り立たんなってしまうがよ。
過ちは、一切許さんがもいかんし、容認するがもいかんっちゅうことながやき。
ほいたらどういたらえいがかっちゅうたら、過ちは「許す」っちゅうことながよ。
「容認する」と「許す」の違いは、前者は過ちの存在自体を認めてしもうちゅうけんど、後者は過ちの存在自体は限りのう撲滅に近づけていく努力はしもって、それでも起こってしもうた過ちについちゃあ、過ち自体は許さんけんど過ちをおかした人は許すっちゅう、そんなイメージながやき。
こりゃあ、こうやって言葉で書いてしまやあ、誰やちできそうな簡単なことみたいなけんど、実は現実にゃあこぢゃんと難しいことながよ。
なんちゅうたち、かの名君主として名高いアクバルさんをして、「もっとも崇高な資質」っちゅうて表現されちゅうばあながやき!
人を愛することができるっちゅうんは、素晴らしい資質やけんど、人を活かすことができるっちゅうんは、もう1次元上のまっと素晴らしい資質であり、人を許すことができるっちゅうんは、さらにもう1次元上のこぢゃんと素晴らしい資質やっちゅうことながぜよ!