「えいもんをひとの足もとへそうっとおいて、しらん顔をしちょりたいぜよ。」(八木重吉)
生前に刊行した詩集は1冊のみで、昭和初期に若うして病没したけんど、死去から約20年が経過した太平洋戦争後に、クリスチャン詩人としての評価が高まった詩人、八木重吉(1898〜1927)さんの言の葉ながやき。
「陰徳陽報(いんとくようほう)」っちゅう言葉があるけんど、こりゃあ人しれず善行を積みゃあ必ずえい報いを得るもんやっちゅう意味ながよ。
八木重吉さんの今回の言の葉は、この「陰徳陽報」とかなり似いちゅうようなけんど、実は大きな違いがあるがやき。
八木さんの言の葉にゃあ、まったく「陽報」の期待がないがよ。
つまり、後のえい報いを期待して、人しれずえい行いをするっちゅうんやないっちゅうことながやき。
「陰徳陽報」っちゅう言葉にゃあ、どういたち後のえい報いに対する期待が、ちびっと見え隠れしてしまうがよ。
八木さんの場合は、えいもんを誰かの足もとに人しれずおいちょいて、しらん顔をしちょって、後でその誰かが悦びゆうっちゅう、その瞬間に既に自分は報われちゅうっちゅう、そういう感覚ながやき。
後の報いを期待して行う善行よりか、こっちの方が一段も二段も格が上やたぁ思わんかよ?