「心は、水のようなもんながよ。嵐で乱れりゃあ、底の泥が浮き上がって水は濁るがやき。けんど、水の本質は汚いもんやあないがぜよ。」(ダライ・ラマ十四世)
チベット仏教の最高指導者にして、チベット民族の国家的・精神的指導者で、1989年にノーベル平和賞を受賞しちゅう、ダライ・ラマ十四世(1935〜)さんの言の葉ながよ。
嵐で乱れりゃあ、どればあ美しい川やち、底の泥らあが浮き上がって水は濁るように、人間の心も、どればあ美しい心の持ち主やったとしたち、嵐みたいな出来事がありゃあ、かき乱された心にゃあ濁りが生じて、汚うなってしまうもんながやき。
そん時だっけを取り上げりゃあ、その人はちくと心が汚い人やっちゅうて思われてしまうことがあるかもしれんがよ。
けんど、どればあ凄い嵐によって乱されて、泥で濁りまくっちょったとしたち、元が美しい川やったら、いつしか必ず、その美しさを取り戻すことができるがやき。
水の本質が汚いもんやないように、どんな人間の心の本質やち、決して汚いもんやないっちゅうことながぜよ。