2022年10月29日

幸せの言の葉<1642>

「結局のところ悟るたぁ決心することぜよ。」(高田好胤)


分かりやすい法話により、「究極の語りのエンターテイナー」とも呼ばれ、薬師寺の再生に生涯を捧げた法相宗の僧(管長)で薬師寺元管主、高田好胤(1924〜1998)さんの言の葉ながやき。


「悟り」っちゅうたら、とてもワシらあ一般人にゃあ手の届かん、遠いところにある究極の境地のように思うてしまいがちながよ。


そんな「悟り」を、結局のところ「決心すること」やと、かの高田好胤さんは喝破するがやき。


何かを決心するっちゅうことは、他の道を捨ててこの道を行くと、覚悟を決めるっちゅうことながよ。


実は人間は誰やち、常に何かを決心するたんびに、他のもんを捨て、覚悟を決めて生きてきちゅうがやき。


そりゃあつまり、決心するたんびに、覚悟を決めるたんびに、悟りに到る道に一歩一歩近づいて行きゆうがと、おんなじことやっちゅうことながよ。


ほいたら、人間は誰やち、生きていく中で、自分なりの悟りに到る道を歩きゆうがやっちゅうことながぜよ。




Posted by tsukasabotan at 09:00│Comments(0)