「結局のところ悟るたぁ決心することぜよ。」(高田好胤)
分かりやすい法話により、「究極の語りのエンターテイナー」とも呼ばれ、薬師寺の再生に生涯を捧げた法相宗の僧(管長)で薬師寺元管主、高田好胤(1924〜1998)さんの言の葉ながやき。
「悟り」っちゅうたら、とてもワシらあ一般人にゃあ手の届かん、遠いところにある究極の境地のように思うてしまいがちながよ。
そんな「悟り」を、結局のところ「決心すること」やと、かの高田好胤さんは喝破するがやき。
何かを決心するっちゅうことは、他の道を捨ててこの道を行くと、覚悟を決めるっちゅうことながよ。
実は人間は誰やち、常に何かを決心するたんびに、他のもんを捨て、覚悟を決めて生きてきちゅうがやき。
そりゃあつまり、決心するたんびに、覚悟を決めるたんびに、悟りに到る道に一歩一歩近づいて行きゆうがと、おんなじことやっちゅうことながよ。
ほいたら、人間は誰やち、生きていく中で、自分なりの悟りに到る道を歩きゆうがやっちゅうことながぜよ。