「タンポポの種の軽さ タンポポの根の深さ それを 学び取るがやき わがものにするがぜよ」(坂村真民)
「念ずれば花ひらく」で有名な、癒しの詩人っちゅうて言われる仏教詩人、坂村真民(1909〜2006)さんの言の葉ながよ。
まず、「タンポポの根の深さ」から何を学び取るか、何をわがものとするかっちゅうたら、今をしっかりと生きるにゃあ、自分のおるべき居場所に腰をおちつけて、そこを深いところまで探究していかにゃあいかんぜよっちゅうことやと、ワシゃあ思うがやき。
次に、「タンポポの種の軽さ」から何を学び取るか、何をわがものとするかっちゅうたら、けんど未来についちゃあ根たぁ全く逆で、どんな場所にやち飛んで行けるばあのフットワークの軽さを持って、あらゆる未来の可能性に挑戦していかにゃあいかんぜよっちゅうことやと、ワシゃあ思うがよ。
つまり、「根」は「今」を生きるためにあり、「種」は「未来」の可能性を広げるためにあるっちゅうことやと思うがやき。
「今」をしっかり生きゆう人や企業は、自分の居場所を深いところまで探究しゆうき、「今」に最適化できちゅうがやけんど、それがゆえにどういたち、その場所と深さに固執してしまいがちながよ。
けんど、視点を「今」から「未来」に切り替えた時、その場所と深さに固執することが、逆に「未来」の致命傷になりかねんっちゅうことながやき。
ほんじゃき「未来」にも生き残るためにゃあ、全く逆に、どんな場所にやち飛んで行けるばあのフットワークの軽さを持って、可能性を広げちょかにゃあいかんっちゅうことながよ。
「今」をしっかり生きもって、しかも「未来」の可能性も広げちょくっちゅうんは、全く真逆のことやきなかなか同時に成すこたぁ難しいことやけんど、それをせにゃあいかんがやっちゅうことを、ワシゃあこの「言の葉」から学び取らせてもうたがぜよ。