「順風として喜びゆう人が遇(でお)うちゅう風は逆風として嘆きゆう人が遇(でお)うちゅう風とまったくおんなじ風ながぜよ。」(幸田露伴)
「露伴、漱石、鴎外」っちゅうて並び称される、日本の近代文学を代表する作家の1人、幸田露伴(1867〜1947)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、誰かにとって順風と感じる風は、別の誰かにとっちゃあ逆風と感じる風でもあるっちゅうことながよ。
たとえば、今の円安やち、日本に輸入されゆう商品らあは値段が高うなって、それを買う日本人にとっちゃあ逆風かもしれんけんど、日本に来る海外からの旅行者にとっちゃあ、元々高かった日本の商品らあが安う買えるき、そりゃあ彼らあにとっちゃあ順風やといえるがやき。
ほいたら、この日本人にとっての逆風と、海外からの旅行者にとっての順風は、違う風かっちゅうたら、そんなこたぁのうて、そりゃあまったくおんなじ風ながよ。
つまり、どんな風やち、その風自体にゃあえいも悪いもない、順風も逆風もないっちゅうことながやき。
ただその風を、順風と感じる人もおりゃあ、逆風と感じる人もおるっちゅうだっけのことながよ。
もしおまさんがいま、ツラい逆風の中におったとしたち、その風自体が悪いわけでも何でものうて、おんなじその風を嬉しい順風やと喜んじゅう人もおるっちゅうことながやき。
ほいたら、風の向きがコッチ向きやったらそれを順風と感じれるような仕事と、風の向きが真逆のアッチ向きやったらそれを順風と感じれる仕事の、両方を準備しちょくことがもしできたとすりゃあ、そりゃあどっちの風が吹いたとしたち順風になるっちゅうことを意味しちゅうがぜよ。