「無駄をおそれちゃあいかんし、無駄を軽蔑しちゃあいかんがやき。何が無駄で何が無駄やないからあてわからんがぜよ。」(開高健)
芥川賞や菊池寛賞らあを受賞しちゅう小説家で、趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイらあでも知られちゅう、開高健(1930〜1989)さんの言の葉ながよ。
世の中は、猫も杓子も効率化じゃあ生産性向上じゃあっちゅうて、無駄を一掃するような方向に進みゆうようなけんど、果たしてそれが正解で、その道しかないもんながじゃろうか?
無駄やと思われちゅうことが実はこぢゃんと大事なことやって、こぢゃんと大事やと思われちゅうことが実は一番の無駄やったらあて、後になって判明することも多々あるもんながやき。
開高健さんの言の葉のとおり、何が無駄で何が無駄やないからあてわからんもんながよ。
時代が変わりゃあ、大事やと思われちゅうもんが無駄になり、無駄やと思われちゅうもんが大事やといわれるようになったりするがやき。
20年ばあ前に、ヒトゲノム解読が発表されたとき、遺伝子と考えられる部分はわずか2%で、残り98%はガラクタやと言われたがよ。
けんど今は、実はこのガラクタこそが2%の遺伝子から10万種の異なるタンパク質を生み出すマジックで、多様性を生み出すための戦略であり、進化の原動力やと言われゆうがやき。
無駄やガラクタの中にこそ、実はこぢゃんと大事なもんが潜んじょったりするもんながぜよ。