2023年01月03日

幸せの言の葉<1662>

「人は、いつか必ず死が訪れるっちゅうことを思い知らにゃあ、生きちゅうっちゅうことを実感することもできんがぜよ。」(マルティン・ハイデガー)


ドイツの実存哲学を代表する哲学者で、「存在と時間」っちゅう名著で知られる、マルティン・ハイデガー(1889〜1976)さんの言の葉ながやき。


べつに、死らあ意識せいじゃち、生きちゅうっちゅうことを実感することらあできるぜよと、おまさんは思うたかもしれんのう。


ほいたら、生きちゅうっちゅうことを実感するたぁ、どういうことやろか?


たとえば、何か特別な素晴らしいことを成し遂げた瞬間とからあにも、確かに生きちゅうっちゅうことを実感することができるかもしれんけんど、ほいたらそんな瞬間以外にゃあ、実感するこたぁできんがやろうか?


そういうことやのうて、普段どおりの何気ない普通の日々の日常を、本気で宝物のように大切なもんとして、心から感謝しながら生きるっちゅうことやと、ワシゃあ思うがよ。


大震災や新型コロナらあで、大切な人を亡くしてしもうた方々は、皆さんこのことを口々に語られるがやき。


つまり、人は誰やち、いつか必ず死ぬっちゅう、このあまりに当たり前の真実を、思い知っちゅうきにこそ、人は普段どおりの何気ない普通の日々の日常を、本気で宝物のように大切なもんとして、心から感謝しながら生きることができるっちゅうことながぜよ。




Posted by tsukasabotan at 09:00│Comments(0)