「己、上手と思やあ、はや下手になるがの兆しとしるべしぜよ。」(杉田玄白)
オランダ語医学書「ターヘル・アナトミア」を和訳し、「解体新書」として刊行したことで有名な江戸時代の蘭学医、杉田玄白(1733〜1817)さんの言の葉ながやき。
人間、何かの道を極めろうとするとき、自分は上達したと思いこんだその瞬間、そこから転げ落ち始めるっちゅうことながよ。
どんな道やち、上にゃあ上があるし、一生かかったちその道を真に極め尽くすらあてこたぁできんはずながやき。
それやに自惚れて、自分は上達したやとか、この道を極めたやとか、思うてしまうこと自体が、もはや転落への第一歩やっちゅうことながよ。
どればあ上達したち、どればあ前人未到の領域に到達したとしたち、まだその先があるがやったら、自惚れたりしゆう暇はないはずで、まだまだやらにゃあいかんことがあるはずながやき。
自分の在り方や存在意義を積極的に肯定するっちゅう、自己肯定感は必要で、こりゃあ自分の弱い部分や苦手なことらあも、ありのままをそのまんま受け止めて、「そんな自分も自分らしゅうてえい」っちゅう感じ方ながよ。
そんな自己肯定感たぁ全く違うて、自惚れっちゅうんは、自分の弱い部分や苦手なことらあにゃあフタをして、自分の姿を実際よりか大きいもんやと思い込み、傲ってしもうちゅうがやき。
自己肯定感は必要やけんど、絶対に自惚れちゃあいかんっちゅうことながぜよ。