「極端なる自負心と、極端なる失望たぁ、ともに極端なる無自覚ぜよ。」(スピノザ)
デカルト、ライプニッツと並ぶ、17世紀近世合理主義哲学者として知られちゅう、オランダ生まれのユダヤ人哲学者、スピノザ(1632〜1677)さんの言の葉ながやき。
この言の葉を、もうちくと簡単に分かりやすう表現すりゃあ、自分をエライと思いすぎるがも、自分に何ちゃあ希望を持ってないがも、どっちも自分のしゆうことに対する責任らあを全く自覚してないっちゅう意味になるがよ。
誰しも、人間としてこの世に生まれてきた意味があるはずながやき、まずは誰しもが、そこに対しての責任だっけは、最低限自覚せにゃあいかんがやき。
その意味で、「極端なる失望」、つまり自分に何ちゃあ希望を持ってないっちゅうんは、「極端なる無自覚」、つまり最低限の責任に対する自覚すら持ってないっちゅうことながよ。
けんど逆に、「極端なる自負心」、つまり自分をこぢゃんとエライと思いすぎるがも、実は同様に「極端なる無自覚」、つまり本当の自分のことが何ちゃあ分かってないっちゅうことになるがやき。
「極端なる自負心」と「極端なる失望」の真ん中あたりの中道を行くっちゅうんが、どうやら最も自分っちゅうもんを自覚しちゅう人間やっちゅうことらしいがぜよ。