「昨日っちゅう日はすでに去り、明日っちゅう日はまだ来てないけんど、今日一日をどう生きるかっちゅう内にゃあ、昨日をいかに過ごし、明日をいかに生きるかが含まれちゅうがぜよ。」(寺川幽芳)
龍谷大学名誉教授、放送大学客員教授で、浄土真宗本願寺派願通寺住職でもある、寺川幽芳(1936〜)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、まっことこぢゃんと大きい気づきを、ワシらあに与えてくれるがよ。
まず、昨日をいかに過ごしたかによって、今日っちゅう一日をどう生きるかが、ある程度決まってくるっちゅう視点を与えてくれるがやき。
たとえば、昨日怠けてまったく仕事が進まんかったら、今日は仕事が溜まりまくって大変なことになるし、昨日こぢゃんと仕事が進んで今日の分まで済まいちょったら、今日はこぢゃんと余裕で仕事ができるっちゅうことながよ。
さらに、今日一日をどう生きるかで、明日をいかに生きるかがある程度決まってくるっちゅう視点も与えてくれるがやき。
たとえば、今日怠けてまったく仕事を進めんかったら、明日は仕事が溜まりまくって大変なことになるし、今日こぢゃんと仕事を進めて明日の分まで済まいちょったら、明日はこぢゃんと余裕で仕事ができるっちゅうことながよ。
当たり前のことのようやけんど、今日っちゅう一日をどう生きるかっちゅう中にゃあ、昨日をいかに過ごしたか、さらに明日をいかに生きるかが含まれちょって、その視点を持つことで、今日一日の一分一秒がいかに大切なもんながか、ハッキリと理解できるっちゅうことながぜよ。