2023年08月20日

幸せの言の葉<1734>

「悠々と穢土に居れる世界を浄土っちゅうがぜよ。」(安田理深)


真宗大谷派の僧籍を持っちゅう仏教学者、安田理深(やすだりじん・1900〜1982)さんの言の葉ながやき。


穢土(えど)っちゅうんは、穢れ(けがれ)に満ちた不浄な世界(この世のこと)のことで、浄土(じょうど)っちゅうんは、仏や将来仏となる菩薩らあが住む清浄な世界のことをいうがよ。


ほいたらこの言の葉は、穢れに満ちたこの世の中かもしれんけんど、もしそこに、ゆったりと落ち着いた余裕がある状態のまんまで居れるがやったら、実はそここそが清浄な世界、浄土ながぜよっちゅう意味になるがやき。


確かにこの世は、苦しいことや悲しいことだらけやき、まさに穢土やといえるかもしれんけんど、ほいたらその真逆の浄土は、穢土からどっか遠く離れた場所にあるがかっちゅうたら、実はそんなところにゃあないっちゅうことながよ。


実は浄土は、穢土のすぐ隣に……否、穢土の真っ只中にこそ存在しちゅうがやき。


別の聞いた話に、地獄たぁどんな場所かっちゅうたら、目の前に豪華な食べ物がズラリと並んじゅうに、こぢゃんと長い箸しか持たされてないき、ナンボ食べ物を箸でつまんでも、箸が長すぎて自分の口に入れることができんっちゅう、そんな世界やったっちゅうがよ。


ほいたら天国たぁどんな場所かっちゅうたら、何と状況は地獄と全くおんなじやったっちゅうがやき。


けんど一点だっけ違うがは、天国じゃあみんなあが、その長い箸でつまんだ食べ物を、自分やのうて遠くにおる他人の口に、お互いに入れ合いよったっちゅうがよ。


つまり、この世がナンボ苦しみや悲しみに満ちた穢土に見えたとしたち、そこをそのまんまの状態で、浄土にすることもできるっちゅうことながぜよ!




Posted by tsukasabotan at 09:00│Comments(0)