「肉体はおとろえるけんど、こころの眼がひらくがやき。人間の晩年っちゅうもんはおもしろいがよ。今日まで生きていのちのたかさが見えてきたぜよ。」(榎本栄一)
浄土真宗に帰依し、「念仏のうた」と称する仏教詩を書いた仏教詩人で、仏教伝道文化賞を受賞しちゅう、榎本栄一(1903〜1998)さんの言の葉ながやき。
ワシも去年還暦になってつくづく感じるがは、肉体のおとろえ、つまり「老い」ながよ。
体のアチコチにチビッとずつガタがくるし、若い頃みたいに無茶な働き方や飲み方もようせんなるし、薬の世話にもならにゃあいかんし、熟睡できんに朝早うに目が覚めてしまうし……まっこと日々「老い」を感じまくりよって、情けないかぎりながやき。
けんど榎本栄一さんは、「人間の晩年っちゅうもんはおもしろい」っちゅうがよ。
何がおもしろいがかっちゅうたら、「心の眼が開く」っちゅうことと、「今日まで生きてきた命の高さが見えてくる」ことやっちゅうがやき。
ワシらあまだまだ、「心の眼が開く」っちゅう域にゃあ程遠いけんど、「今日まで生きてきた命の高さ」っちゅうんは、何とのうボンヤリと見えてきたように感じるがよ。
今日まで生きてきて、失敗やら成功やらいろんな体験をしてきて、積み上げてきた「命の高さ」は、確かに若い頃にゃあ全く見えてなかった部分ながやき。
そんな「命の高さ」が見えてくりゃあ、これまでの全ての体験が今の自分をつくり上げてくれちゅうがやっちゅうことにも気づき、えいことも悪いことも全部ひっくるめて抱き締めとうなるばあ、愛おしゅうに感じられるようになるがよ。
その先に、さらに生きて「命の高さ」を積み上げていきゃあ、「心の眼が開く」っちゅう体験も、訪れるような気がしてくるがやき。
ほいたら、人間の晩年っちゅうもんは、まっことおもしろいっちゅうことながぜよ!