「ワシらあの苦しみのほとんどは、ワシらあが頭の中で生み出しちゅうに過ぎんがぜよ。」(ダライ・ラマ十四世)
チベット仏教の最高指導者で、ノーベル平和賞を受賞しちゅう、ダライ・ラマ14世(1935〜)さんの言の葉ながやき。
人間の一生のうちにゃあ、それこそ数えきれんばあたくさんの苦しみがあると思われちゅうがよ。
ほんで、そんなたくさんの苦しみを、たいていの人は外からやってくるもんじゃと思いこんじゅうがやき。
けんど、かのダライ・ラマ十四世さんは、そんなたくさんの苦しみのほとんどは、ワシらあが頭の中で生み出しちゅうに過ぎんっちゅうて、喝破するがよ。
実は、外からやってくるもんの大半は、たいていは苦しみそのもんやのうて、苦しみの種ながやき。
ほんじゃきたとえば、何らあの苦しみの種が外からやってきたとして、その種を苦しみやと受け取って、現実に苦しみの芽を芽吹かせてしまうがは、実はワシらあ自身に原因があるっちゅうことながよ。
つまり、何らかの苦しみの種が外からやってきたとしたち、その苦しみの種を苦しみやと受け取らんかって、現実に苦しみの芽を芽吹かせんかったら、そりゃあ苦しみじゃあないなるっちゅうことながやき。
ほいたら確かに、ダライ・ラマ十四世さんの言の葉のとおり、ワシらあの苦しみのほとんどは、ワシらあが頭の中で生み出しちゅうに過ぎんっちゅうんが、真実やっちゅうことになるがよ。
ちゅうこたぁ、苦しみだらけの人生を送るか、それとも楽しいことだらけの素晴らしい人生を送るかは、持って生まれた才能も、生まれ落ちた環境も、お金があるかないからあも、そんなこたぁ何ちゃあ関係のうて、ただ単純にワシらあ自身の考え方次第で決まるっちゅうことながやき!
さあ、もうすぐ令和6年の新年!楽しいことだらけの素晴らしい新年にしましょうぜよ!
良い酔いお年を!