2024年06月30日

幸せの言の葉<1831>

「悪人たぁゲームができるけんど、善人たぁゲームができんがぜよ。」(中野好夫)


英米文学翻訳者の泰斗であり、東京大学教授・中央大学教授らあを歴任した、英文学者・評論家の中野 好夫(1903〜1985)さんの言の葉ながやき。


この言の葉は、一体どういう意味かっちゅうたら、本当に怖いがは悪人やのうて、実は善人の方やっちゅうことながよ。


悪人っちゅうんは、何らかの明確な目的を持って、そりゃあ悪いことやと自覚した上で、それでもあえてそこに踏み込んで、誰かを欺いたり、貶めたりするような人のことながやき。


何らかの目的、どういたち何か手に入れたいもんらあがあったりして、あえて悪に手を染めるっちゅう、そういう人ながよ。


ほいたらこちらは、そういう人の目的さえ読めちょりゃあ、そりゃあ取り引きができるっちゅうことになるがやき。


つまり、交渉の余地があるっちゅうことながよ。


そういう悪人よりか、はるかに怖いがは、実は善人の方ながやき。


善人たぁ、自身の行動は100%善意でやりゆうつもりで、「これが正義や」とか、「これが世の中のためになる」とか、本気で信じきって、周りにガンガン働きかけてくる人のことながよ。


こういう人たぁ、実は交渉も取り引きも不可能ながやき。


悪気らあ微塵ものうて、正義は自分にあると信じきっちゅうもんやき、もはや取りつく島もないがよ。


つまり、単なる悪人よりか、ホンマに怖いがは、無知な善人やっちゅうことながやき。


もちろん誰やち、悪人よりか善人になりたいと思うちゅうろうけんど、悪人よりか始末が悪い、そんな善人だけにゃあなりとうないもんながぜよ。




Posted by tsukasabotan at 09:00│Comments(0)