「悪人たぁゲームができるけんど、善人たぁゲームができんがぜよ。」(中野好夫)
英米文学翻訳者の泰斗であり、東京大学教授・中央大学教授らあを歴任した、英文学者・評論家の中野 好夫(1903〜1985)さんの言の葉ながやき。
この言の葉は、一体どういう意味かっちゅうたら、本当に怖いがは悪人やのうて、実は善人の方やっちゅうことながよ。
悪人っちゅうんは、何らかの明確な目的を持って、そりゃあ悪いことやと自覚した上で、それでもあえてそこに踏み込んで、誰かを欺いたり、貶めたりするような人のことながやき。
何らかの目的、どういたち何か手に入れたいもんらあがあったりして、あえて悪に手を染めるっちゅう、そういう人ながよ。
ほいたらこちらは、そういう人の目的さえ読めちょりゃあ、そりゃあ取り引きができるっちゅうことになるがやき。
つまり、交渉の余地があるっちゅうことながよ。
そういう悪人よりか、はるかに怖いがは、実は善人の方ながやき。
善人たぁ、自身の行動は100%善意でやりゆうつもりで、「これが正義や」とか、「これが世の中のためになる」とか、本気で信じきって、周りにガンガン働きかけてくる人のことながよ。
こういう人たぁ、実は交渉も取り引きも不可能ながやき。
悪気らあ微塵ものうて、正義は自分にあると信じきっちゅうもんやき、もはや取りつく島もないがよ。
つまり、単なる悪人よりか、ホンマに怖いがは、無知な善人やっちゅうことながやき。
もちろん誰やち、悪人よりか善人になりたいと思うちゅうろうけんど、悪人よりか始末が悪い、そんな善人だけにゃあなりとうないもんながぜよ。