「神の見えざる手に導かれて、人は自分じゃあ思うてもみんかった目的を達成することがあるがぜよ。」(アダム・スミス)
イギリスの哲学者、倫理学者、経済学者で、「国富論」の著者として世界的に知られちょって、「経済学の父」と呼ばれる、アダム・スミス(1723〜1790)さんの言の葉ながやき。
思いがけんようなきっかけで、思うてもみんかったような幸運を手に入れる人っちゅうんが、世の中にゃあおるがよ。
そういう人を傍らから見りゃあ、まるで「神の見えざる手」に導かれゆうかのように見えるがやき。
ほいたら、どういたら「神の見えざる手」に導かれるような、思いがけん幸運を手に入れるような人になれるがやろうか?
実は、そういう人にゃあ3つの共通点があるがよ。
まず、自分に与えられたちんまい幸せや幸運らあを、惜しむことができる人ながやき。
つまり、いま自分が持っちゅうささやかな幸せや幸運に感謝して、それらあを使い果たしてしまわんと、天に預けちょくことができる人っちゅうことながよ。
2つめは、自分に与えられたちんまい幸せや幸運らあを、人に分け与えることができる人ながやき。
つまり、いま自分が持っちゅうささやかな幸せや幸運に感謝して、それらあを自分だっけで独占してしまわんと、周りにも分け与えることができる人っちゅうことながよ。
3つめは、ちんまい幸せや幸運の種を、いま蒔くことができる人ながやき。
つまり、たとえいま自分が不幸のドン底におったとしたち、将来に芽を出すような幸せや幸運の種を、いま蒔くことができる人っちゅうことながよ。
この3つができる人っちゅうんは、絶対に周りが放っちょかんき、たとえいま不幸のドン底におったとしたち、いつか必ず「神の見えざる手」に導かれて、幸運を引き寄せ、思いがけんような幸せを手に入れることができるっちゅうことながぜよ。