「重要なこたぁ、何を耐え忍んだかやのうて、どのように耐え忍んだかながぜよ。」(セネカ)
ユリウス=クラウディウス朝時代のローマ帝国の政治家・哲学者・詩人、ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃〜65年)さんの言の葉ながやき。
人間誰しも、一生のうちにゃあ、こぢゃんと困難な状況に陥ってしまうことが、何回かはあるもんながよ。
ほんで、その困難が過ぎ去り、昔バナシになった際にゃあ、「ワシゃあこんなスゴい困難を耐え忍んだぜよ!」っちゅうて、「何を耐え忍んだか」について語ったりするもんながやき。
けんど、その困難な状況の真っ只中におるときにゃあ、何を耐え忍んだかやのうて、どのように耐え忍んだかが重要になるがよ。
つまり、困難な状況に陥ったときに、どんな態度で臨むかがこぢゃんと重要やっちゅうことながやき。
弱音ばっかり吐いたり、グチばっかり言うたり、他人や周りのせいばっかりにしたりしもって、困難に耐えていくっちゅうんは、そりゃあイカンがよ。
そんな態度で耐え忍びよったら、たとえその困難を乗り越えることができたとしたち、周囲の誰っちゃあがまったく評価してくれんなるがやき。
ほんじゃき、どればあ困難な状況に陥ったとしたち、弱音を吐かんと希望の言葉を語り、グチは言わんと成すべき理想を語り、他人や周りのせいにせんと自らの責任として受け止めることができりゃあ、周囲がこぢゃんと評価して、拍手喝采になるっちゅうもんながぜよ。