「何かを学ぶために書物を買い求めるこたぁ、こぢゃんとえいことながよ。ただし、ついでに、その書物を読む時間も買い求めることができりゃあのう。」(ショーペンハウアー)
主著「意志と表象としての世界」で世界的に知られちゅうドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアー(1788〜1860)さんの言の葉ながやき。
実はワシゃあ、趣味は読書やっちゅうて断言するばあの本好きで、どればあ忙しゅうたち本屋にゃあ必ず月に2〜3回は行きよって、2〜3時間ばあは平気で滞在して物色しまくったりしゆうがよ。
さらに、月に平均10冊ばあは書物を買い求めよって、仕事も忙しゅうて飲み会も多いき、ひと月に読める書物はせいぜい5〜6冊なもんやき、必然的に読んでない書物がガンガンたまっていくことになるがやき。
ほいたら、そのたまっていきゆう書物は、まったくの無駄ながか、そのまんま開きもせんと放ったらかしちゅうかっちゅうたら、そうじゃあないがよ。
結局読まんずつ蔵書されちゅう書物やち、こぢゃんと短時間やけんど必ずどっかでいっぺんは、ペラペラと部分読みか流し読みばあはしちゅうがやき。
ほんで、そんな短時間の部分読みや流し読みやったとしたち、必ず何らかの学びや得るもんがあるがよ。
つまり……ショーペンハウアーさんの言の葉は、書物を買い求める人は多いけんど、その書物を読む時間をキチンと作り出せる人は少ないっちゅうような意味やろうけんど、最初っから1冊全部を読了せにゃあいかんらあて思う必要はない、短時間の部分読みや流し読みやちえいんやっちゅうことを、ワシゃあ言いたいがやき。
それやったら、どればあ忙しい人やち、どればあ時間がない人やち、書物を読む時間を作り出すこたぁ必ずできるはずながよ。
もし、それでも読む時間を作り出せんっちゅうがやったら、そもそもその人は書物を読む時間を作り出したいたぁ思うてない人であり、つまりは書物から得られるもんの価値をまったく理解してない人やっちゅうことながぜよ。