「時は、時をよう用いるもんにゃあ、親切ぜよ。」(ショーペンハウアー)
主著「意志と表象としての世界」で世界的に知られちゅうドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアー(1788〜1860)さんの言の葉ながやき。
「時をよう用いるもん」たぁ、端的に言やあつまり「時間をいとおしんで大切に使う人」っちゅう意味ながよ。
時間っちゅうんは、世界中誰にやち平等に与えられちょって、どればあの聖人君子やち、どればあの極悪人やち、時間はおんなじように流れ、おんなじように過ぎ去っていくがやき。
ほんじゃき、誰やち時間を無駄に使おうと思うたら、こぢゃんと簡単ながよ。
特に意味ものう、ダラダラとテレビやYouTubeらあを眺めよったら、アッちゅう間に時間は過ぎ去っていくがやき。
けんど逆に、何か大切なことを成し遂げろうとして、本気になって時間をつくろうとすりゃあ、どればあ他の仕事や予定らあがビチビチに詰まっちょったとしたち、時間はつくれてしまうもんながよ。
本気になって時間をつくろうとすりゃあ、どればあ忙しゅうたち、時間はつくれるがやき。
これがおそらく、ショーペンハウアーさんの語る「時は親切」っちゅう言葉の意味ながよ。
普段から、時間をいとおしんで大切に使いよったら、いざ本気になって時間をつくろうとしたときにゃあ、どればあ忙しゅうたち、時間は必ずつくれるっちゅうことながぜよ。