「アタマは低う、アンテナは高う。」(鈴木三郎助)
日本の実業家で、かの「味の素」の創設者であり、従五位勲四等を叙勲しちゅう、鈴木三郎助<2代>(1868〜1931)さんの言の葉ながやき。
昔っから、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」っちゅうて言われゆうとおり、なんぼ地位や名声が上がったち、偉そうな態度をとらんと常に謙虚な姿勢でおらんと、いつか足をすくわれかねんっちゅうことながよ。
けんど、ほいたらただ単にアタマを低うしちょったらえいかっちゅうたら、当然それだっけじゃあいかんがやき。
まず、アタマが低い人にやち2つのタイプがあって、そこに謙虚さがにじみ出るタイプと、卑屈さがにじみ出るタイプがおるがよ。
前者は、周りから評価されるけんど、後者は周りから評価されるこたぁないがやき。
その差はどっからくるかっちゅうたら、そりゃあ「自信」ながよ。
自分の言動や行動や哲学に自信を持っちゅうからこそ、謙虚な姿勢がとれるっちゅうんが前者で、自分の言動や行動に自信もなけりゃあ哲学も持ってないきに、卑屈な態度をとってしまうっちゅうんが後者ながやき。
ほいたら、どうすりゃあ自信を持てるようになるかっちゅうたら、そりゃあ常にアンテナを高うに伸ばいて、様々な情報をキャッチし続けもって、その上で行動に移し続ける中で培われるもんながよ。
アンテナっちゅう意味は、どんな情報やちキャッチすりゃあえいっちゅうことやのうて、自分にとって本当に必要な情報だっけを取捨選択するっちゅう意味ながやき。
そんな取捨選択した情報をベースに行動に移し、その行動についてをチェックして、また新たな情報を加えて次の行動を決め……ちゅうことを繰り返しよりゃあ、情報の精度も上がっていくし、行動の精度もまた上がっていくがよ。
ほいたら、いつしか「自信」が培われちゅうっちゅうことながやき。
かの鈴木三郎助さんの言の葉、「アタマは低う、アンテナは高う。」にゃあ、そんな深い意味があるとワシにゃあ思えるがぜよ。