「行動と情熱がないなりゃあ、その人は妬みに支配されるがぜよ。」(キェルケゴール)
19世紀デンマークの哲学者・思想家で、実存主義の創始者、もしくはその先駆けと評価されちゅう、セーレン・オービュ・キェルケゴール(1813〜1855)さんの言の葉ながやき。
この言の葉の読み方を、ちくと変えて読んでみりゃあ、嫉妬深い人っちゅうんは、あんまり情熱を持って物事に対処することものうて、さらにあんまり行動にも移すことのない人やっちゅうことになるがよ。
確かにこりゃあ、当たっちゅうと思うがやき。
これまでの人生で出会うた人で嫉妬深い人っちゅうんは、あんまり物事に対する情熱ものうて、口は達者でもあんまり行動力がない人ばっかしやったがよ。
自分自身の人生を振り返ってみたち、他人に嫉妬したりしよった時期っちゅうんは、確かにちくと情熱をなくしちょったりして、理想と現実の狭間で悩んで行動が伴うてなかったりする時期やったがやき。
だいたい、情熱を持って何かの夢や理想に向こうてガンガン行動しゆう人っちゅうんは、そもそも他人に嫉妬しゆうヒマらあないもんながよ。
嫉妬っちゅうんも、実は結構エネルギーを必要とするもんやき、そんなもんに使うようなエネルギーらあて、そもそも残っちゃあせんがやき。
けんど、そんな情熱と行動力を持っちゅう人やち、年をとるにつれて、だんだん他人に妬みを覚えるようになってきたりするもんながよ。
そんな時にゃあ、この言の葉を思い出さにゃあいかんがやき。
他人に妬みを覚えるようになったっちゅうことは、自分が年をとったからとかやのうて、そりゃあ自分の情熱が薄れて、行動力が弱まっちゅうからやと、気がつかにゃあいかんがよ。
ナンボ年をとったち、年をとったなりに、情熱をかたむけることができるもんは見つかるはずやし、そこに向こうて行動し続けることはできるはずながやき。
いくつになったち、情熱と行動力だっけは、しっかりと持ち続けたいもんながぜよ。