「男っちゅうもんは、酬われるために、何かをやるがやないがぜよ。やらにゃア、いかんきに、やるがやき…」(遠藤周作)
小説家デビュー後、「第三の新人」の一人と呼ばれ、「白い人」で芥川賞を受賞し、日本人の罪の観念やキリスト教を主題とした「海と毒薬」「沈黙」らあの作品があるほか、軽妙なエッセー「狐狸庵(こりあん)」シリーズでも知られ、平成7年(1995)にゃあ文化勲章を受章しちゅう小説家、遠藤周作(1923〜1996)さんの言の葉ながよ。
この言の葉の意味するところは、何かをやろうとするときに、その努力や苦労に対して、何らかの酬われるようなもん(成功、賞賛、報酬…等々)が手に入ることを期待して、そのためにそれをやるっちゅうがやったら、そりゃあ違うっちゅうことながやき。
つまり、そりゃあ「◯◯やったら△△する」っちゅう条件付きでの行動であり、何かの目的のための「ひとつの手段として」それをやるっちゅうことであり、そりゃあ動機が不純やっちゅうことながよ。
そうやのうて、そりゃあ自分がやるべきことであり、やらにゃあいかんことであり、それを自身の魂が自覚しちゅうきに、酬われようが酬われなかろうが、そんなこたぁまったく関係なしに、とにかくやるっちゅうことながやき。
何かの目的のための手段やのうて、自分がやらにゃあいかんきにやるっちゅうそんな行動は、そこに没頭した時にゃあ自分の肉体的な感覚が消え失せて、自身が行為そのもんになったような感覚が訪れるもんながよ。
これが、俗に言われる「ゾーンに入る」っちゅう状態ながやき。
最初の段階じゃあ、たとえば出世したいきに仕事を頑張るみたいな、何かの目的のための手段としてやりゆう行動やち、その仕事に本気で取り組んで没入した時、「ゾーンに入る」こともあるもんながよ。
そん時、おまさんが行為そのもんになった時、おまさんの行動は、「自分がやらにゃあいかんきにやる」っちゅう純粋な動機に変化しちゅうはずながぜよ!