2025年08月03日

幸せの言の葉<1956>

「人間たぁ便利なもんながよ。いま振り返りゃあ、えい思い出しか浮かんでこんがやき。ちょうど負けた馬券を覚えちゃあせんようなもんながよ。三越の店員時代のこと、独学のこと、樫山商店創業当時のこと、しんどかったことや苦しかったこたぁ、年月による浄化作用を受けて、すべてが懐かしいもんに変わっちゅうがやき。決して"順風満帆"じゃあなかったはずやけんど、回顧すりゃあそのように見えるきに不思議ながよ。いやな思い出を忘れることができるきにこそ、人間は希望を持って生きられるがかも知れんがぜよ。」(樫山純三)


日本の実業家でオンワード樫山の創業者であり、また競走馬の馬主としても知られちゅう、樫山 純三(1901〜1986)さんの言の葉ながやき。


まず、この言の葉のとおり、過去を振り返ったとき、いやな思い出らあ忘れてしもうちょって、えい思い出しか浮かんでこんっちゅう人は、いま幸せな人ながよ。


逆にいま不幸やっちゅう人の場合、過去を振り返りゃあ、いやな思い出しか浮かんでこんっちゅう人が多いはずながやき。


ほんじゃき、いま過去を振り返って、えい思い出しか浮かんでこんっちゅう人は、それだっけで既にこぢゃんと幸せな人やっちゅうことながよ。


禍福はあざなえる縄のごとしっちゅうことわざもある通り、人間誰にやち幸福もありゃあ不幸もあって、 その幸不幸の割合の差らあて、実はそれほど大きいことらあまずないもんながやき。


ほいたら、どこで差が出てくるかっちゅうたら結局は、「自分は幸せもんや!」とか、「自分は運がえい!」とか、そういうふうに思えるかどうかながよ。


たとえば、転んで怪我をしたとして、そん時に「自分は不幸や」とか、「自分は運が悪い」とかっちゅうて思うか、それとも「怪我がこればあで済んで良かった!やっぱし自分は運がえい!」っちゅうて思えるか、 そこの差やっちゅうことながやき。


人生における、そういうチンマイ事柄の積み重ねらあが積もり積もって、いやな思い出しか浮かんでこん人と、えい思い出しか浮かんでこん人に分かれてしまうことになるがよ。


しかも、いやな思い出しか浮かんでこん人の一生は、その人にとっちゃあ全般に不幸やと感じちょって、えい思い出しか浮かんでこん人の一生は、その人にとっちゃあ全般に幸せやと感じちゅうがやき。


さておまさんは、過去を振り返ったとき、いやな思い出ばっかしが浮かんでくるかよ?それともえい思い出ばっかしが浮かんでくるかよ?




Posted by tsukasabotan at 09:00│Comments(0)