「この世に百パーセントの不幸っちゅうもんはないがやき。五十パーセントの不幸はあるけんど、半面そこにゃあ五十パーセントの幸せがあるわけながよ。人間はそれに気がつかにゃあいかんがやき。とかく人間の感情っちゅうもんは、うまいこといきゃあ有頂天になるけんど、悪うなったら悲観するがよ。こりゃあ人間の一つの弱い面やけんど、それをなるべく少のうして、いつの場合やちたんたんとやる。信念を持っていっつも希望を失わんとやることながやき。『天は二物を与えず』っちゅうけんど、逆に『なるほど、天は二物を与えんけんど、一物は与えてくれるがや』っちゅうことが言えると思うがよ。その与えられた一つのもんを、大事にして育て上げることながぜよ。」(松下幸之助)
「経営の神様」の異名を持つパナソニックの創業者であり、実業家・発明家・著述家の、松下幸之助(1894〜1989)さんの言の葉ながやき。
この言の葉の意味するところは、結局人間は物事の見方や捉え方次第で、幸せにもなりゃあ不幸にもなるっちゅうことながよ。
ほんで重要な点は、不幸な目に遭うたとき、それをどう捉えるかっちゅうことながやき。
人間、不幸な目に遭うたときにゃあ、どういたちその不幸な点ばっかしに目がいってしもうて、百パーセント不幸やと感じてしまいがちやけんど、百パーセントの不幸らあてまずあり得いで、ほとんどの場合、幸之助さんの言の葉のとおり、50パーセントばあの不幸で、あとの50パーセントは幸せがあるもんながよ。
たとえば、何かの病で入院せにゃあいかんなったとして、確かにその点だっけ見りゃあ不幸かもしれんけんど、一方で見方を変えりゃあ、こればあの病で済んで良かったっちゅう幸せもありゃあ、もしかしたら働き過ぎやきちくと休みなさいっちゅう、そりゃあ天から与えられた幸せな時間かもしれんっちゅうことながやき。
また、自分にゃあ才能がないらあて悲観しゆう人がおるけんど、『天は二物を与えず』っちゅう言葉があるとおりながやき、「天は二物を与えんっちゅうこたぁ、一物は与えてくれちゅうがや」っちゅうて捉えるべきながよ。
「一物もない」らあて人間は、絶対におらんっちゅうことながやき、もし自分にゃあ才能がないと思うちゅうとしたら、そりゃあまだ自分に天が与えてくれちゅう「一物」を、見出だしてないだっけのことながやき。
まずはその自分ならでは「一物」を発見することで、発見すりゃあそれを大切にして育て上げていくことながよ。
百パーセントの不幸らあてない!一物も与えられてない人らあておらん!……ちゅうふうに人生を捉えることができりゃあ、人生にゃあナンボやち幸せが転がっちゅう、人生は幸せなことだらけっちゅうことになるがぜよ!