「楽天主義っちゅうたら人はすぐ、ええかげんとか、気楽さとか、人のよさとか、うすのろとか連想するらしいけんど、楽天主義たぁ、すさまじきもんながやき。殺されたち、人を信じ通すっちゅう人生観を変えんがよ。人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるっちゅうこたぁすばらしい。死ぬっちゅうこともすばらしい。病気になるっちゅうこともすばらしい、ちゅう風に、徹底的に信じ通すがやき。 肯定、肯定、絶対肯定していくがぜよ。」(紀野一義)
1964年に谷中・全生庵で清風仏教文化講座を立ち上げ、1989年にゃあ宝仙学園短期大学学長に就任し、1993年からは正眼短期大学副学長を務めた、仏教学者・宗教家で真如会主幹、紀野 一義(1922〜2013)さんの言の葉ながよ。
楽天主義っちゅう言葉はよう聞くけんど、こればあすさまじい楽天主義もあるがかと、ちくと度肝を抜かれたがやき。
確かによう考えてみりゃあ、一般に言われゆう楽天主義っちゅうんは、ええかげんとか、気楽さとか……そんな軽うて能天気なイメージがあるけんど、ホンマはそんなレベルの楽天主義じゃあ、真に楽天主義たぁいえんはずながよ。
そんなレベルじゃあ、実際に人に裏切られたりとか、何らかの不幸な出来事が起こった時にゃあ、結局は楽天的じゃあおれんはずながやき。
何ちゃあない平穏無事な時だっけは楽天的やけんど、何か問題や不幸な出来事らあが起こった時にゃあ楽天的やないなるっちゅうがやったら、そりゃあホンマは楽天主義たぁいえんはずながよ。
たとえ何が起こったち、殺されたち人を信じ通すっちゅう人生観を変えん、とにかく全てにおいて徹底的に信じ通す絶対肯定っちゅうそんな思想の持ち主こそ、ホンマモンの楽天主義やっちゅうことながやき。
そこまでのレベルはなかなか難しいとしたち、ちびっとやきそこに近づけるばあの、ホンマモンに近い楽天主義者になりたいもんながぜよ!