「絵の本質は額縁にあるがぜよ。」(ギルバート・K・チェスタートン)
日本じゃあ、探偵小説「ブラウン神父」シリーズを書いた小説家として知られちょって、詩人でもあり戯曲家でもあり、20世紀前半に英国論壇を席巻したジャーナリストであり思想家やったっちゅう、ギルバート・K・チェスタートン(1874〜1936)さんの言の葉ながやき。
「絵の本質は額縁にある」らあて、画家が聞いたら怒り狂いそうな言の葉やけんど、こりゃあ一体どういう意味ながやろうか?
こりゃあ、自由や創造性を発揮するためにゃあ、あらかじめ一定の制限や枠組み(境界線)が必要やっちゅう意味ながよ。
たとえば、もし「何の制限もなしにどればあ自由に描いてもえい」っちゅうて言われたち、終わりや始まりの境界(額縁)がなけりゃあ、画家はどこに何を描きゃあえいがか分からんなって、かえって描き始められんなるっちゅうことながやき。
額縁っちゅう「枠」があるきにこそ、その内側で思いっ切り自由な表現やドラマが成り立つっちゅう逆説(パラドックス)を表しちゅうがよ。
つまり、チェスタートンさんは、人間社会についてやち、これとおんなじやと言いたいがやき。
ルールや制限や境界線(枠組み)らあを全て取り払うて、何もかんも「完全な自由」にしてしまやあ、世の中はかえって無秩序になってしもうて、生きる意味や行動の指針らあさえも失われてしまうっちゅうことながよ。
ルールや制限や境界線っちゅうたら、人間の自由を奪う悪者みたいに思うちゅう人が少のうないかもしれんけんど、実はそれらあがあるきにこそ、人間は思いっきり想像力を発揮して、思いっきり自由を謳歌することができるっちゅうことながぜよ。