2024年03月24日

幸せの言の葉<1800>

「人に対して感じるあらゆるいらだちや不快感は、自分自身を理解するがに役立つことがあるがぜよ。」(カール・グスタフ・ユング)


スイスの精神科医・心理学者で、深層心理について研究し、分析心理学(ユング心理学)を創始したカール・グスタフ・ユング(1875〜1961)さんの言の葉ながやき。


他の人はあんまり気にせんような些細なことやち、何でかしらんけんどいらだちや不快感を感じるっちゅうようなことが、誰にやちあると思うがよ。


何でそんな些細なことに自分がいらだちや不快感を感じるがからあて、普段はあんまり考えたりするようなこたぁないかもしれんけんど、そこをちくと深うに考えてみることが、自分自身を理解するがに役立つっちゅうて、かのユングさんは伝えてくれゆうがやき。


たとえば、ワシゃあ平日の朝起きて仕事に出かける前に、突然カミさんからいろいろ質問されたりすると、ちくといらだちや不快感を感じることがあるがよ。


何でそう感じるがか、最初は分からんかったがやけんど、ある時に何でそう感じるがやろうかと深う考えてみたことがあるがやき。


ほいたら、気づいたがよ。


つまり、朝起きて家を出て仕事に入るまでの行動は、何ちゃあ考えんでもできるように習慣化されちょって、一切意思決定せいじゃちえいようにパターン化されちゅうがやき。


人間が1日に意思決定できる量は限られちゅうきに、この習慣化によって、ワシゃあ仕事に使える意思決定量をできるだけ増やそうと、無意識にしよったっちゅうことながよ。


ほんじゃき、その何ちゃあ考えんでもできる習慣化しちゅう流れの中に、意思決定せにゃあいかんような質問を突然投げかけられたら、仕事を邪魔されたように感じて、いらだちや不快感を感じるっちゅうことながやき。


これに気づいたことによって、自分自身が無意識にしゆうことに対して、理解が深まったと感じたがよ。


あとは、カミさんにこのことを共有して理解してもろうて、質問は朝やのうて夜寝る前とかにしてもらえりゃあえいっちゅうことながやけんど……「夜はいっつも飲んで酔っぱろうちゅうやいか!」っちゅうて、言い返されるだけやろうのう。


  

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2024年03月23日

幸せの言の葉<1799>

「諸君、明日はまっとえいもんをつくろうぜよ。」(アントニ・ガウディ)


彼の作品である、サグラダ・ファミリアやグエル公園らあが、ユネスコの世界遺産に登録されちゅう、スペインはカタルーニャ出身の建築家、アントニ・ガウディ(1852〜1926)さんの言の葉ながやき。


この言の葉は、大勢の人数でモノづくりを行う人々にとって、こぢゃんと響くもんがあるがよ。


建築物をつくる人々はもちろん、酒造りに携わる人々もおんなじながやき。


大勢の人々が力を合わせてひとつのもんをつくり上げる際にゃあ、どういたち日数がかかるもんながよ。


長い日数をかけて、大勢の人々がコツコツと地味で地道な作業を積み重ねていくとき、どういたちマンネリ化したり、中だるみしたりしてしまう人が出てきてしまうもんながやき。


マンネリ化したり、中だるみしたりしてしまう人っちゅうんは、日々の地味で地道な作業の中に埋没してしもうて、自分らあが目指しちゅうもんを見失うてしもうちゅうがよ。


そんな時にリーダーが、このような言の葉を力強うに語って、ハッとするような気づきを与えちゃらにゃあいかんがやき。


「諸君、明日はまっとえいもんをつくろうぜよ!」


そうやった!


ワシらあが日々コツコツと積み重ねゆう、地味で地道な作業は、今日よりか明日、明日よりか明後日……まっとまっとえいもんをつくるためにやりゆうことやった!


本気でそう気づいた瞬間に、マンネリ化も中だるみも、吹き飛んでしまうがぜよ。


  
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2024年03月17日

幸せの言の葉<1798>

「どこにおったち『ノイズ』はつきまとうがよ。無視すりゃあ不快やけんど、耳をすましゃあ魅せられるがぜよ。」(ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア)


アメリカ合衆国の音楽家、作曲家、詩人、思想家、キノコ研究家であり、実験音楽家として前衛芸術全体に影響を与え、独特の音楽論や表現によって音楽の定義をひろげた、ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア(1912〜1992)さんの言の葉ながやき。


この言の葉でジョン・ケージさんが言いたいこたぁ、まず、どこにおったち、何をしよったち、雑音はつきまとうもんで、雑音から逃れることらぁできんっちゅうことながよ。


ほんで、そんな雑音を無視しょうとすりゃあするばあ、自身が不快な気分になってしまうっちゅうがやき。


ほいたら逆に、その雑音に耳をすませてじっくり聴いてみりゃあ、実は雑音やと思うちょったもんの中にやち、魅せられるような部分があるがぜよっちゅう、そういうことながよ。


さらにそりゃあ、雑音だっけに限ったことやあないがやき。


雑魚、雑草、雑談、雑念、雑事、雑用……「雑」の字が付く言葉にゃあ、取るに足りんとか、余計なもんっちゅうようなイメージがあるけんど、実はそんな「雑」の中にやち、魅せられるような大切なもんが潜んじゅうっちゅう、そういうことながぜよ!


  
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2024年03月16日

幸せの言の葉<1797>

「アタシゃあ困難なことを問題たぁ呼ばんがよ。むしろチャンスと呼ぶがやき。」(マザー・テレサ)


カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者、さらにカトリック教会の聖人にも列せられちゅう、マザー・テレサ(1910〜1997)さんの言の葉ながよ。


このマザー・テレサさんの言の葉は、要するに「ピンチはチャンスや」っちゅうことになるがやけんど、そう言うてしもうたら、あまりに使い古された言葉やき、深い意味が伝わらんなってしまうような気がするがやき。


テレサさんが一番言いたいがは、困難なことが起こったときそれを問題と呼んでしもうたらいかん、つまりピンチをそのまんまピンチとして捉えてしもうたらいかんっちゅうことながよ。


そうやなしにたとえば、そりゃあこのまんま進んだらいかんっちゅう、天からの知らせやっちゅうて捉えたとしたらどうやろうかっちゅう、そういうことながやき。


このまんま進みよったら、いつの間にか間違うた方向に行ってしまうきに、そこに気づいて今のうちに修正しちょきゃあ、まっとうまいこといくぜよっちゅう、そんな天からのメッセージやと捉えるっちゅうことながよ。


もしそう捉え直してみて、何かハッと気づくことがあったとすりゃあ、そこが間違うた方向に行かんための重要な修正点やっちゅうことながやき。


ほいたら、今回起こった困難なこと、今回起こったピンチは、問題やのうて、むしろうまいこといくためのチャンスやったっちゅうことになるがぜよ!


  
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2024年03月10日

幸せの言の葉<1796>

「人を責める前に、許す余地がないかどうか考えるべきぜよ。」(ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク)


ドイツ初の実験物理学専門の教授となった科学者であり風刺家で、「リヒテンベルク図形」と呼ばれゆう樹状の奇妙なパターンを発見したことでも知られちゅう、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク(1742〜1799)さんの言の葉ながやき。


誰やち人を責めるこたぁあるろうし、また逆に人に責めらることも、誰にやちあるもんながよ。


どっちにしたち、責められる方はタマランし、そりゃあ嫌なもんながやき。


ほんじゃき、自分が誰かから責められたときにゃあ、自分にゃあまだ「許す余地」があるっちゅうことを、ナンボやち見つけることができるがよ。


けんど、自分が誰かを責めるときにゃあ、その相手の「許す余地」らあて考えもせんし、見つけろうともせんがやき。


こりゃあ、自分にゃあ甘うて他人にゃあ厳しいっちゅうことで、そりゃあちくと不公平やないかよっちゅうことながよ。


ほんじゃき、人を責める前にゃあ、あんまり感情的になり過ぎんようにして、自分の胸に手をあてて、相手の「許す余地」についてちくと考えてみるっちゅう、そればあの余裕はいっつも持っちょきたいもんながぜよ。


  
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2024年03月09日

幸せの言の葉<1795>

「ワシゃあ自分のやりたいこたぁどんどんやって楽しむがやき。楽しんだこたぁ後で後悔せんぜよ。」(永井荷風)


日本の小説家で、「断腸亭日乗」らあで知られちゅう文化功労者で文化勲章受章者、永井 荷風(1879〜1959)さんの言の葉ながよ。


自分のやりたいことをさんざんやったその後で、それを後悔したりしゆう人が意外に少のうないがやき。


たとえば、気のおけん仲間らあと美味しい料理と美味しいお酒を堪能し、こぢゃんと楽しい会話で盛り上がりまくり、午前様まで行き抜けてしもうた翌日、ちくと二日酔いで後悔するっちゅうようなことが、ワシやちあるし、誰にやちあるはずながよ。


けんど、それでのうたち二日酔いで身体的にシンドイうえに、さらにそこに「後悔」っちゅう精神的にシンドイことまで付加しよっちゃあ、負担が大きゅうなりすぎて、それこそ病気になったり倒れたりしてしまいかねんがやき。


ほんじゃき、かの永井荷風さんは、この言の葉を遺してくれちゅうがよ。


自分のやりたいこたぁどんどんやって楽しんで、その後は、たとえ身体的にどればあシンドかったとしたち、「あぁ、まっこと楽しかった!」っちゅうて楽しい気持ちを維持して、後悔の気持ちらあて微塵も持たんっちゅうんが、健康的で幸せな人生を謳歌する秘訣やないかよっちゅうことながぜよ。


  
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2024年03月03日

幸せの言の葉<1794>

「全部2番。もちろん、1番になれたほうがえいけんど、そのために他が犠牲になるばあやったら全部2番がえいがぜよ。」(高橋由伸)


千葉県出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)で、読売巨人軍の監督も務めた、野球解説者で評論家、高橋由伸(1975〜)さんの言の葉ながやき。


プロスポーツ選手やに、全部2番がえいっちゅうんは、ちくとどうながやろうと思うてしまうかもしれんけんど、実はなかなか深い意味があるがよ。


まず、由伸さんは、「2番でえい」やのうて、「2番がえい」っちゅうて表現しちゅうがやき。


つまり、あまんじて2番で我慢するっちゅうんやのうて、自らの意思であえて2番を選ぶっちゅう意味ながよ。


さらに、「全部2番がえい」っちゅうこたぁ、野球選手にとって必要な、あらゆる分野において2番を取るっちゅうことやき、そりゃあ想像以上に難しい、実は凄いことながやき。


たとえば、本塁打数で2番、打率も2番、打点も2番、安打も2番、盗塁も2番……ちゅうたら、本塁打だっけで1番を取るよりか、凄いことやたぁ思わんかよ?


しかも、何で2番がえいがかっちゅうたら、「そのために他が犠牲になるばあやったら」っちゅうことながよ。


つまり、家庭とか趣味とか、仕事以外にも自分にとって大切なもんを、仕事のためやからっちゅうて犠牲にらあせんっちゅうことで、今風の言葉でいやあ「ワークライフバランス」を大切にしたいっちゅうことながやき。


かつての「24時間戦えますか」っちゅうキャッチコピーが表しちゅうような、他の全てを犠牲にして仕事一筋に全身全霊を傾けるっちゅう企業戦士は、現役を退いた後にゃあ燃え尽きてしもうて、粗大ゴミ的存在になってしもうたりしてしまいがちながよ。


現役を退いた後にやち、まだまだ長い人生があることを考えりゃあ、「ワークライフバランス」を大切にした、「全部2番がえい」っちゅう由伸さん的な考え方が、長い人生全体で眺めた際にゃあ、実は正解ながやないろうかっちゅうことながぜよ。


  
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2024年03月02日

幸せの言の葉<1793>

「今日できることに全力を尽くしや。そうすりゃあ明日一歩前進しちゅうやろう。」(アイザック・ニュートン)


イングランドの自然哲学者・数学者・物理学者・天文学者・神学者で、言わずと知れた万有引力の発見者、かのアイザック・ニュートン(1642〜1727※ユリウス暦)さんの言の葉ながよ。


何かを成し遂げたいと思うて頑張りゆうとき、なかなか思い通りにならんと遅々として進まんかったりすりゃあ、焦りを感じたり、やる気をなくしてしもうたりしてしまいがちながやき。


けんど、実は何事を成すにしたち、必ずと言うたちえいばあ、遅々として進まん「踊り場」のような時期があるもんながよ。


ほんじゃき、そういうときにゃあ、焦ったりせんように、やる気をなくしてしもうたりせんようにせにゃあいかんがやき。


そのためにゃあ、ニュートンさんの言の葉のとおり、「今日できることに全力を尽くす」しかないがよ。


一見、全く進んでないように見えたち、そんなことらあ何ちゃあ気にせんと、ただひたすら今日できることに 全力を尽くしよったら、それだっけでえいがやき。


たとえそんときゃあ、何ちゃあ進んでないかのように見えたち、後から振り返ってみりゃあ、ほんのわずかの一歩ずつ一歩ずつ、実は前進しゆうがぜよ!


  
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2024年02月25日

幸せの言の葉<1792>

「『ありがとう』っちゅう方は何気のうたち、言われる方がうれしいがよ。『ありがとう』、これをまっと素直に言い合おうぜよ。」(松下幸之助)


「経営の神様」の異名を持つパナソニックの創業者であり、実業家・発明家・著述家の、松下幸之助(1894〜1989)さんの言の葉ながやき。


自分にとっちゃあ意識もしてないばあ何気ない親切をしたとき、相手から思いがけんばあ、心からの「ありがとう」っちゅう感謝の言葉をもろうたこたぁないかよ?


そんな時、予想もしてない相手の反応に、ちょっとびっくりするがと同時に、胸のあたりがジンワリと温こうなって、うれしい気持ちがこみ上げてきやあせんかよ?


あるいは逆に、誰かにちょこっと助けてもうて、何気のう「ありがとう」っちゅうて伝えたら、相手がこぢゃんと嬉しそうな笑顔になったっちゅうような、そんな経験はないかよ?


そんな時、自分の「ありがとう」っちゅう言葉が生んだ相手の予想以上の悦びように、やっぱし胸のあたりがジンワリと温こうなって、自分もちょっと幸せな気持ちになりゃあせんかよ?


つまり、「ありがとう」っちゅう言葉は、幸せや悦びの連鎖を生む増幅装置であり、ある意味で魔法の言葉やっちゅうことながよ。


この「ありがとう」っちゅう魔法の言葉を、みんなあがまっとまっと素直に言い合うことができりゃあ、世の中はまっとまっと幸せや悦びが満ちあふれる、素晴らしい世界になるっちゅうことながぜよ。


  
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2024年02月24日

幸せの言の葉<1791>

「世界を良うすることを始めるがに、誰っちゃあ一瞬やち待つ必要らあてないがやき。」(アンネ・フランク)


60以上の言語に翻訳され、2,500万部を超える世界的ベストセラーになった「アンネの日記」の著者で、ホロコースト犠牲者のユダヤ系ドイツ人少女、アンネ・フランク(1929〜1945)さんの言の葉ながよ。


「世界を良うすること」らあて言うたら、大それたことをせにゃあいかんと思うてしまいがちやけんど、全くそんなこたぁないがやき。


道端に落ちちゅうゴミを拾うたり、道に迷うちゅう人に道を教えたり、世話になった人に心から感謝の言葉を伝えたり……ちゅうような一見ちんまいことやち、「世界を良うすること」ながよ。


ほんのちょっとした自分の行動で、他の人を幸せにすることができたり、周りの環境をチビッとでも良うしたりすることができるっちゅうことながやき。


そんな日々の、あまりに何気ないささやかな「世界を良うする」行動は、案外恥ずかしかったりして、ためろうてしもうたりしがちやけんど、何ちゃあためらう必要らあのうて、今直ぐにやち始めた方がえいっちゅうことながよ。


そんな、あまりに何気ないささやかな「世界を良うする」行動やち、毎日毎日積もり積もりゃあ、さらにそれが日本人全員、地球人全員の行動になりゃあ、一体どればあ世界は素晴らしいもんになるがやろうか!


  
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2024年02月18日

幸せの言の葉<1790>

「臆病者の目にゃあ、敵は常に大軍に見えるがぜよ。」(織田信長)


日本で最初に天下統一に近づいた戦国武将で、戦国の三英傑の一人、織田信長(1534〜1582)さんの言の葉ながやき。


勝負に勝てるか勝てんかの分かれ目は、そりゃあまず第一番に、相手を自分がどう思うちゅうかにかかっちゅうっちゅうことながよ。


相手がもし、自分よりか大きい存在に見えるがやったら、この勝負に勝つがは難しゅうて、相手がもし、自分よりかちんまい存在に見えるがやったら、この勝負はまず勝てるっちゅうことながやき。


つまり、勝負のゆくえは、実は勝負の前に、自分の中で既にほぼ決まってしもうちゅうっちゅうことながよ。


ほんでこのことをさらに突き詰めりゃあ、勝負に勝つたぁ、その勝負の前に自分との戦いがあり、まずはそれに勝たにゃあいかんっちゅうことで、つまりは全ての勝負は、自分との戦いやっちゅうことながぜよ。


  
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2024年02月17日

幸せの言の葉<1789>

「できると思やあできる。できんと思やあできん。こりゃあ絶対的な法則ぜよ。」(パブロ・ピカソ)


スペイン生まれで、主にフランスで制作活動を行うた、「20世紀最大の芸術家」と評される天才画家、パブロ・ピカソ(1881〜1973)さんの言の葉ながやき。


もし、おまさんが何かを実現したいとして、それが実現できるか、それとも実現できんかは、何にかかっちゅうかっちゅうたら、まず一番はおまさんがどう思うちゅうかながよ。


つまり、おまさんが実現できると思うちょったら実現できるし、おまさんが実現できんと思うちょったら実現できんっちゅうことながやき。


しかも、かの天才ピカソさんは、これは絶対的な法則やっちゅうがよ。


この絶対的な法則は、分かっちゅう人にとっちゃあ、あまりに当たり前すぎることやけんど、分かってない人にとっちゃあ驚くようなことらしいがやき。


たとえば、おまさんが何かに挑戦しょうとして、その際に、こりゃあできそうもないにゃあっちゅうてもし思うちょったとしたら、そりゃあこの挑戦は失敗に終わるっちゅうことで、こりゃああまりに当たり前のことながよ。


つまり、おまさんの限界はどこまでかっちゅうたら、おまさんが「できると思えるところ」までやっちゅうことながやき。


逆をいやあ、おまさんがもし、どこまでも高い目標を掲げたとしたち、それを本気でできると思えるがやったら、そりゃあ実現できるっちゅうことで、つまりはおまさんの限界はないなるっちゅうことながぜよ。


  
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2024年02月12日

幸せの言の葉<1788>

「問いを解くたぁ、それと一つになることぜよ。」(鈴木大拙)


禅(ZEN)についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広うに知らしめた仏教学者(文学博士)で、1949年に文化勲章も授与されちゅう、鈴木大拙(1870〜1966)さんの言の葉ながやき。


「問いを解くたぁ、それと一つになること」っちゅうんは、まさに禅語のようで、何を言いたいがかが分かりにくいかもしれんがよ。


こりゃあ経験してみんとよう分からんかもしれんけんど、たとえば何かの仕事らあに一所懸命取り組みゆう際に、時間を忘れてしまうばあ驚異的な集中力で夢中になって、いわゆる「ゾーンに入る」っちゅう状態を経験したこたぁないかよ?


トップアスリートらあが試合後に、勝利の理由として挙げることもある表現で、たとえば野球のバッターやったら、「ゾーンに入っちょって、ボールが止まって見えた」とかっちゅう表現らあがあるがやき。


ゾーンに入りゃあ、集中力がこぢゃんと高まり、周りの景色や音らあが意識の外に排除されて、自分の感覚だっけが研ぎ澄まされ、活動に没頭できるっちゅう特殊な意識状態になって、予想以上の結果を出すことも可能になるがよ。


ワシゃあ仕事の中で、そんな「ゾーンに入る」っちゅう状態になったとき、自分の身体とかっちゅうそんな意識らあ一切無いなってしもうて、自分が今やりゆう「行為」が、自分そのもんやっちゅう感覚になってしまうがやき。


つまり、自分と行為が一体化して一つになってしまうっちゅうイメージながよ。


鈴木大拙さんのこの禅語のような言の葉は、おそらくこの状態を表現しちゅうがやないろうか。


「問いを解く」っちゅうんは、あらゆる仕事を表現しちゅうとも取れるし、またアスリートにしたち、たとえば「あのピッチャーの球を如何にして打つか」っちゅう「問いを解く」仕事であるとも表現できるがやき。


ほいたら大拙さんの禅語のようなこの言の葉は、「あらゆる問題の答えを導き出す秘訣は、その導き出す行為そのもんと一体化すること」っちゅうふうに言い換えることができるがやないろうかと、ワシゃあ思うがぜよ。


  
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2024年02月11日

幸せの言の葉<1787>

「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌やあえいがぜよ。」(岡本太郎)


1970年の大阪万博のシンボル、「太陽の塔」の作者として有名な芸術家、岡本太郎(1911〜1996)さんの言の葉ながやき。


人間誰やち、大人になりゃあ他人の目が気になってしまうもんながよ。


ある意味、それが大人になるっちゅうことでもあるきに、他人の目が気になってしまうこと自体は、そりゃあしょうがないことでもあるがやき。


けんど、ただ一点、自分にとって一番大切な、最も自分らしいと思える分野だっけについちゃあ、他人の目らあ絶対に気にしよったらいかんがよ。


その一点だっけは、他人が笑おうが笑うまいが、他人から批判されようが批判されまいが、絶対に譲ったらいかんぜよっちゅうて、かの天才岡本太郎さんは断言するがやき。


「これが本来の自分らしさじゃ!」っちゅう一点だっけについちゃあ、絶対に他人の意見らあ一切聞かんと、自分だっけにしか歌えん自分の歌を歌やあえいがぜよ!


  
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2024年02月10日

幸せの言の葉<1786>

「最初はただ物真似やち、何度も繰り返すうちに自分の形になっていくもんぜよ。」(吉田秀彦)


1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリストの柔道家で、総合格闘家でもあり、現在は吉田道場師範、パーク24柔道部監督の、吉田 秀彦(1969〜)さんの言の葉ながやき。


「物真似」っちゅうたら、あんまりえいイメージがない言葉かもしれんけんど、実は全ての学びは物真似からスタートするもんながよ。


子供が言葉を覚えるがも、両親の物真似からやし、何ちゅうたち「学ぶ」っちゅう言葉の語源も、「真似ぶ(まねぶ)」から来ちゅうらしいがやき。


ほんじゃき、どんな分野やったとしたち、最初は物真似からスタートすりゃあ、それでえいっちゅうことながよ。


ただし、かの金メダリスト吉田秀彦さんも語っちゅうように、何度も繰り返しゆううちに「自分の形」になっていかにゃあいかんがやき。


もし、いつまで経ったち「自分の形」ができん、物真似のまんまやっちゅうがやったら、そりゃあ何が足りんがかっちゅうたら、まだ「何度も繰り返すうちに」の「何度も」が足りん、つまり繰り返しが足りんっちゅうことながよ。


いかなる分野やち、物真似を何度も何度も繰り返し続けよったら、独自の「自分ならではの形」っちゅうもんが自然に立ち現れてくるもんやっちゅうことであり、そうなるまでは何度何度も何度何度も、繰り返し続けにゃあいかんっちゅうことながぜよ!


  
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2024年02月04日

幸せの言の葉<1785>

「『自分にゃあ限界がある』っちゅうて思うたら成長できんぜよ。」(アルフレッド・アドラー)


オーストリアの精神科医・心理学者で、フロイトやユングらあと並んで、現代のパーソナリティ理論や心理療法を確率した1人、アルフレッド・アドラー(1870〜1937)さんの言の葉ながよ。


過去に「絶対にこれがもう限界や!」っちゅうて思うちょったことでも、月日か経ってまた挑戦してみたときに、その限界やと思うちょったことを超えることができたっちゅう経験はないかよ?


ワシゃあ、何度もそんな経験があるもんやきに、今じゃあ「これが限界や!」と思うたち、いつかはきっとその限界も超えることができるはずやっちゅうて、信じることができるがやき。


今の自分じゃあそれが限界やと思うちょったち、さらに学んだり考えたり経験を積んだりして自分を変えていくことによって、その限界は限界じゃあないなるっちゅうことながよ。


つまり、「自分にゃあ限界がある」っちゅうて思うたらいかん、そうやのうて、「自分にゃあ限界はない!」っちゅうて思わにゃあいかんっちゅうことで、ほんじゃきにこそ、人は成長していくことができるがぜよ!


  
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2024年02月03日

幸せの言の葉<1784>

「生まれ変われるやったら、おんなじ人生をもういっぺん繰り返したいがよ。そう思うがは、過去を悔やまんと、未来を恐れんきやろう。」(ミシェル・ド・モンテーニュ)


16世紀フランスを代表する哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュ(1533〜1592)さんの言の葉ながやき。


果たして皆さんは、生まれ変われるとしたら、おんなじ人生をもういっぺん度繰り返したいと思えるろうか?


ワシゃあ、確かにこれまでの人生にゃあ、繰り返しとうない嫌な思い出や失敗らあが、それこそ山盛りあるがやけんど、全体として眺めてみりゃあ、おんなじ人生をもういっぺん繰り返すがも悪うないかなと思えるがよ。


何でそう思えるかっちゅうて、ようよう考えてみたら、山盛りの過去の嫌な思い出や失敗らあは、確かに消せるもんやったら消し去ってしまいたいたぁ思うけんど、それらあが今の自分をつくっちゅうとも思えるきに、そんな過去を悔やんだりはしやあせんがやき。


また、そんな過去がつくりあげた今の自分が、これから積み重ねていくことによって、未来はつくり上げられていくもんじゃとワシゃあ思うちゅうきに、未来を恐れることらあないがよ。


ほんじゃきワシゃあ、おんなじ人生をもういっぺん繰り返すがも、悪うないかなと思えるがぜよ。


  
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2024年01月28日

幸せの言の葉<1783>

「人間、逆境にあるときゃあ、クリエイティブになるほかないがよ。昼も夜も考えに考え、深う理解しょうとするもんぜよ。」(ビル・ゲイツ)


アメリカ合衆国の実業家で、かのマイクロソフト社の共同創業者であり元会長兼顧問、ビル・ゲイツ(1955〜)さんの言の葉ながやき。


人間誰やち、逆境だらけの人生らあて嫌なもんやき、順境を望むもんながよ。


けんど、かのビル・ゲイツさんに言わせりゃあ、誰やち嫌がおうでもクリエイティブになれる環境こそが、逆境やっちゅうことになるがやき。


確かに、誰やち逆境にあるときゃあ、昼も夜も考えに考え続けて、深いところまで理解しょうとするき、クリエイティブにならざるを得んがよ。


つまり、クリエイティブになりたいやったら、逆境を利用せえっちゅうことながやき。


逆境にあるきにこそ、クリエイティブになれるし、知恵も湧いてくるき、それによってどんな逆境やち乗り越えられるし、それによって人間は成長し続けることができるがよ。


ほいたら、逆境こそが、自分の人生にとっちゃあ、大切な宝物になるっちゅうことながぜよ!

  
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2024年01月27日

幸せの言の葉<1782>

「ワシの義務は猛烈に楽しむことぜよ。」(オスカー・ワイルド)


「サロメ」「幸福な王子」らあの代表作で知られる、アイルランド出身の詩人・作家・劇作家、オスカー・ワイルド(1854〜1900)さんの言の葉ながよ。


「義務」っちゅうたら本来は、人がそれぞれの立場に応じてやるべき務めっちゅう意味の言葉やき、「猛烈に楽しむこと」が義務やっちゅうて言われたら、ちくと違うような気がしてしまうがやき。

一方、これが「権利」っちゅう言葉やったら、あるものごとを自分の意志で自由に行うたりすることができる資格や能力っちゅう意味の言葉やき、こっちの方が「猛烈に楽しむこと」にゃあピッタリくるような気がしてしまうがよ。


ほいたら何で、かのオスカー・ワイルドさんは、「権利」やのうて「義務」の方を選んだがやろうか?


「猛烈に楽しむこと」が「権利」やったら、自分の意志で自由に行うたり、行わんかったりできるっちゅうことになってしまうけんど、これが「義務」やったら、そりゃあ やるべき務めながやき、やらにゃあいかんことになるがやき。


つまり、「猛烈に楽しむこと」が人生においちゃあ、何をさておいたちやらにゃあいかんことやっちゅうて、ワイルドさんは強調したいっちゅうことながよ。


何ごとやち「猛烈に楽しむこと」ができりゃあ、そりゃあその分野を究めて、一流になれることを意味しちゅうがやき。


つまり、ある分野を究めて一流になれて、且つ人生を思いっきり謳歌できるっちゅう生き方が、「猛烈に楽しむこと」やっちゅうことながぜよ。


  
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2024年01月21日

幸せの言の葉<1781>

「人間っちゅうもんは、歴史の教訓から多くを学ばん。それが最大の教訓やろう。」(オルダス・ハクスリー)


ヨーロッパにおいて著名な科学者を多数輩出したハクスリー家の一員で、イギリスの著作家(後にアメリカ合衆国に移住)であり、小説・エッセイ・詩・旅行記らあを多数発表しちょって、小説によってその名を広う知られちゅう、オルダス・ハクスリー(1894〜1963)さんの言の葉ながやき。


「歴史の教訓から学べ」っちゅう言葉は、アチコチであまりによう聞くもんやき、みんなあこの言葉を素通りしてしもうて、結局は誰っちゃああんまりそっから学んでないっちゅうことながよ。


ほんじゃき、もうひとつのよう聞く言葉、「歴史は繰り返す」っちゅうことになるがやき。


人類の歴史を見りゃあ、紛争や戦争らあの争いごとの繰り返しになってしもうちゅうがは、結局そういうことながよ。


個人個人で見たち、人間は自身の歴史の教訓からも、あんまり学んでないもんながやき。


たとえば、ある問題が起こった時に、その問題が伝えようとしちゅう本質の部分をしっかりと掴んで、その問題についてを学びきって初めて、1段上の段階にステップアップできるがよ。


けんど、その問題について中途半端にしか学んでなけりゃあ、必ずまたおんなじような問題が、別の場面で巡ってくるもんながやき。


個人やったとしたち、自身の歴史から学びきらん限り、おんなじような歴史が繰り返されるっちゅうことながよ。


個人の歴史からも、人類の歴史からも、ワシらあはまだまだ学ばにゃあいかんことだらけながぜよ!


  
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2024年01月20日

幸せの言の葉<1780>

「知るこたぁ見ること。ここじゃあどんな人間の知識も当人の経験を超えるこたぁありえんぜよ。」(ジョン・ロック)


哲学者としちゃあ「イギリス経験論の父」と呼ばれ、政治哲学者としちゃあ「自由主義の父」とも呼ばれたイギリスの哲学者、ジョン・ロック(1632〜1704)さんの言の葉ながよ。


こりゃあつまり、どんな知識やち、人から教えられただっけじゃあ不十分で、自分で経験して自分の目で確かめることが重要やっちゅうことながやき。


どればあ素晴らしい先生や先達らあから徹底的に学んだとしたち、どればあ素晴らしい書籍やセミナーらあから徹底的に学んだとしたち、そこで止まっちょったら、そっから学んだもんはまだまだしょせん借り物の知識でしかないがよ。


これらあを自らの血肉にして、ホンマもんの自分のもんにするためにゃあ、その学んだ内容を現実の自分の生活や仕事らあに落とし込んで、実践してみるしかないがやき。


ほんで、その実践の結果を吟味して、あんまりうまいこといってないがやったら、内容らあを修正し、再び実践するっちゅうことを繰り返すがよ。


そんな、実践の繰り返しの中で初めて、学んだ知識がホンマもんの自身の知恵となるっちゅうことながやき。


世の中に数多ある素晴らしい知識らあは、自身の経験を通過さいてこそ、そこで初めてホンマに世の中の役に立つ知恵に変換されるっちゅうことながぜよ!

  
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2024年01月14日

幸せの言の葉<1779>

「頂上でありもって、同時に崖っぷちながぜよ。」(千代の富士)


双葉山(69連勝)、白鵬(63連勝)に次ぐ53連勝を達成し、優勝回数31回、生涯戦歴1045勝(幕内807勝)を成し遂げ、「昭和最後の大横綱」と称されて、国民栄誉賞を受賞した第58代横綱、千代の富士(1955〜2016)さんの言の葉ながやき。


山の頂上っちゅうんは、大抵は狭いもんながよ。


ちゅうこたぁ、頂上イコール「崖っぷち」やっちゅうことながやき。


こりゃあ山に限らんと、相撲の世界やち、また他のどんな世界やち、おんなじようなもんながよ。


つまり、どんな世界やち、トップに君臨した瞬間に、そりゃあこぢゃんと危険な「崖っぷち」に立ったがやっちゅうて思わにゃあいかんっちゅうことながやき。


その認識がないまんま、トップに君臨したっちゅうて有頂天になっちょったりすりゃあ、アッちゅう間に「崖っぷち」から滑り落ちてしまうっちゅうことながぜよ!


  
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2024年01月13日

幸せの言の葉<1778>

「人は、無力やきに群れるがやのうて、群れるきに無力になるがぜよ。」(竹中労)


「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」らあの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出し、晩年はガンを患うて闘病しもっても活動を続けたっちゅう、ルポライターで評論家の竹中労(1928〜1991)さんの言の葉ながやき。


今回の言の葉は、ある意味で一転語ながよ。


普通やったら、人は1人じゃあ無力やきに、たくさんの人が集まって力を出し合やあ、大きなパワーが出せるっちゅうて考えるもんながやき。


それを、真逆の「群れるきに無力になる」たぁ、どういう意味があるがやろうか?


そりゃあつまり、単なる人数合わせ的に、烏合の衆を集めたち、1人ひとりの考え方や方向性らあがバラバラやったら、そりゃあ無力やっちゅうことながよ。


さらに、たとえ考え方や方向性が同じやったとしたち、人は群れりゃあ安心してしもうて、みんなあが「自分1人ばあやったら大して影響らあないろう」と思うてしまいがちで、結局は周囲に任せっぱなしで、何の力も発揮せん人だらけになってしまいがちやっちゅうことながやき。


ほんじゃき、自分1人で立てる力を持っちゅう人、自分がやらにゃあ誰がやるっちゅうて思うちゅう人らあが群れりゃあ、そりゃあこぢゃんと大きな力を発揮することができるっちゅうことながぜよ!


  
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2024年01月08日

幸せの言の葉<1777>

「失うたもんを数えたらいかん、残されたもんを最大限に生かさんといかんぜよ。」(ルートヴィヒ・グットマン)


ドイツ出身のユダヤ人神経学者で、「パラリンピック」の創始者でもある、ルートヴィヒ・グットマン(1899〜1980)さんの言の葉ながやき。


人間誰やち、大切な何かを失うたりすりゃあ、そりゃあ落胆するもんやし、絶望してしまうことやちあるかもしれんがよ。


けんど、「諸行無常」っちゅう言葉のとおり、すべてのもんは常に流転して、変化したり消滅したりが絶えるこたぁないっちゅうんが、世の中の真実の姿ながやき。


ほいたら、失うたもんを数えゆう場合やないがよ。


失うたもんを数えたりしよったら、今に居りもって過去の繰り返しを生きちゅうことになるき、そりゃあ今を生きてないっちゅうことになるがやき。


ほんじゃき、失うたもんがどればあ大きかったとしたち、今を生きるためにゃあ、失うたもんのことらあキッパリ忘れて、残されたもんを最大限に生かすことに、全力投球するしかないっちゅうことながよ。


なかなかツラいことかもしれんけんど、そんな行動こそが、残されたもんの中からの、新たな大切なもんの出現を促すっちゅうことながぜよ。


  
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2024年01月07日

幸せの言の葉<1776>

「過去から学び今日を生き、未来に対して希望を持つ。大切なこたぁ、何も疑問を持たん状態に陥らんことぜよ。」(アルベルト・アインシュタイン)


ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者で、「20世紀最高の物理学者」と評され、ノーベル物理学賞も受賞しちゅう、アルベルト・アインシュタイン(1879〜1955)さんの言の葉ながやき。


さすがは天才中の天才、かのアインシュタインさんの言の葉ながよ。


人間が素晴らしい人生を送るために必要なこたぁ何かっちゅうんを簡単にまとめりゃあ、まずは「過去から学び今日を生きる」っちゅうことと、もうひとつは、「未来に対して希望を持つ」ことやっちゅうがやき。


確かに、この2つがバッチリ実践できりゃあ、誰やち素晴らしい人生を送ることができるはずながよ。


しかも、アインシュタインさんは、そのためのコツも教えてくれちゅうがやき。


そりゃあ、「何も疑問を持たん状態に陥らんこと」やっちゅうがよ。


何も疑問を持たんまんま生きちょったとしたら、「過去から学び今日を生きる」ことも、「未来に対して希望を持つ」ことも、絶対に不可能ながやき。


常に疑問を持ち続けちゅうきにこそ、人間は自分の頭で考え、それを行動に移し、失敗したら修正し、また考え、また行動し……ちゅう繰り返しができるがよ。


そんな一連の流れこそが、過去から学び今日を生きるっちゅうことそのもんであり、そんな中でこそ、未来に対する希望もまた、立ち現れてくるもんながぜよ。


  
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2024年01月06日

幸せの言の葉<1775>

「勉強たぁ、自分の無知を発見することぜよ。」(ウィリアム・ダラント)


アメリカ合衆国の歴史家・哲学者で著作家の、ウィリアム・ダラント(1885〜1981)さんの言の葉ながやき。


他人が何かについて知らんかったりしたら、「こんなことも知らんかよ!」っちゅうて嗤う人がおるけんど、大抵の場合そういう人にかぎって、あんまり知的な人やあないもんながよ。


ホンマに知的な人っちゅうんは、常に学び続けゆう人やきに、学びゃあ学ぶばあ、自分は無知やっちゅうことに気づくもんながやき。


そこに気づいちょりゃあ、他人がなんぼ無知やったとしたち、自分もおんなじ五十歩百歩ながやき、絶対に嗤うことらあできんはずながよ。


たとえば、ワシゃあ日本酒メーカーの社長やき、日本酒についちゃあ一般の方々らあよりか詳しゅうに知っちゅうがは当たり前やき、一般の方々らあが「大吟醸」がどんな酒ながかとかを知らんかったとしたち、嗤うたりすることのう、キチンと素人にも分かるように説明ができるがやき。


一方、ワシゃあ化粧品会社の人間やないし、化粧品についちゃあまったく知識もないき、化粧品の初歩的なことを語られたち、おそらくまったく知らんことだらけやき、素人にも分かるように説明をしてもらいたいがよ。


つまり、人間の一生にゃあ時間的制限があるがやき、あらゆる分野のあらゆる知識を1人の人間が一生の間に学び尽くすらあてこたぁ、絶対に不可能やっちゅうことで、そりゃあつまりどればあ超賢い天才やち、知らんこたぁ絶対にあるっちゅうことながやき。


ほいたら、学ぶっちゅうこたぁ、まずは自分の無知を発見することであり、そっからあらためて真の学びがスタートするともいえるがぜよ。

  
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2024年01月03日

幸せの言の葉<1774>

「やたらと忙しいっちゅうんはどんなもんやろう。『忙』っちゅう字は『心が亡びる』と書くがぜよ。」(高田好胤)


分かりやすい法話により、「究極の語りのエンターテイナー」とも呼ばれ、薬師寺の再生に生涯を捧げた法相宗の僧(管長)で薬師寺元管主、高田好胤(1924〜1998)さんの言の葉ながやき。


この言の葉も、まさに好胤さんの面目躍如で、こぢゃんと分かりやすうて、しかも「なるほど!」っちゅうて大納得できるがよ。


確かに「忙」の字を2つに分けりゃあ、「心」と「亡」になるき、「心が亡びる」っちゅうことになり、つまり「忙しい」っちゅうんは「心が亡びる」ことにつながるっちゅうて言われたら、なかなか反論はしにくいがやき。


もちろん反論したいわけやあないけんど、「忙しい」がそのまんまイコールで「心が亡びる」ことになるっちゅうわけやあないがよ。


好胤さんも、イコールたぁ言うてないがやき。


要は、あんまり忙しゅうにし過ぎよったら、どういうわけか人間は、一番大切なもんを見落としてしまいがちになるもんやき、気をつけにゃあいかんっちゅうことながよ。


ほんじゃき、「忙しい」と感じたときにゃあ、一番大切なもんを見落としてないか、「心」が「亡」びてないか、常に意識しちょかにゃあいかんっちゅうことながやき。


そのためにゃあ、この記憶しやすい好胤さんの言の葉が、こぢゃんと役に立つっちゅうことながぜよ。


  
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2024年01月02日

幸せの言の葉<1773>

「真珠貝は海の中で、何かコロコロするような異物を抱いたまんま、今はそれを除きたいとも思わんと生きちゅうがぜよ。」(榎本栄一)


浄土真宗に帰依し、「念仏のうた」と称する仏教詩を書いた仏教詩人で、仏教伝道文化賞を受賞しちゅう、榎本栄一(1903〜1998)さんの言の葉ながやき。


今回の言の葉は、どういう意味で語られちゅうがやろうか?


ワシゃあ以下のような意味にとったがよ。


人間、生きちゅう間にゃあ、自分の人生にとっちゃあ異物としか思えんような好ましゅうない物事が、それこそ数えきれんばあ現れるもんながやき。


どればあ、そんな異物らあ一切排除したいと願うたち、生きちゅうかぎりは必ず、なんぼやち現れてしまうもんながよ。


ほいたら、人生はツラいことだらけやいかと思うてしまうかもしれんけんど、実はそうでもないがやき。


そんな異物が現れてしまうきにこそ、人間は考えるし、様々な行動もするし、努力もするし、進歩もするっちゅうことながよ。


さらに、そんな異物の存在があるきにこそ、いろんな葛藤があったり、試練があったり、挫折があったりしもって、人間が磨かれていき、より輝くような人生を手に入れることができるがやともいえるがやき。


そりゃああたかも、真珠貝の中に異物が入ったことで、貝殻成分が分泌されてそれが異物を覆い、いつしか真ん丸うて美しい真珠が誕生するかの如しながよ。


つまり、真珠貝も人間も、異物っちゅう存在のお陰で、光り輝く素晴らしいもんを手に入れることができるっちゅうことながやき。


ほいたらワシらあも、自分の人生に異物が現れたとしたち、それを排除しょうらあて思わんと、その異物を抱きしめて、平気な顔をして生きていきたいもんながぜよ。


  
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2024年01月01日

幸せの言の葉<1772>

「愛は憎しみよりか高うて、理解は怒りよりか高うて、平和は戦争よりか気高いぜよ。」(へルマン・ヘッセ)


あけましておめでとうございます!


令和6年、2024年もワシのブログ&Facebookを、何とぞ宜しゅうお願い申し上げますぜよ!


さて、今年の新年最初の「幸せの言の葉」は、20世紀前半のドイツ文学を代表する作家で、ノーベル文学賞も受賞しちゅう、ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962)さんの言の葉ながやき。


この言の葉は、一見ありきたりなことを語っちゅうようにも見えるがよ。


「愛は憎しみよりか高い」とか、「平和は戦争よりか気高い」とかっちゅうて言われたち、「そりゃあそのとおりよ!」っちゅう感想しか、抱かんかもしれんがやき。


ポイントは、真ん中に置かれちゅう、「理解は怒りよりか高い」ながよ。


人生にゃあ、腹立たしいことや頭にくるようなことが山盛り起こるもんながやき、それらあに対していちいち怒りの感情をあらわにしよったら、つまりはそんな怒りの感情が積み重なって、理解よりか怒りが高うなってしもうて、ひいては愛よりか憎しみの方が高うなってしまうがやき。


さらにそれが、人類全体でも積み重なっていきゃあ、そりゃあ平和よりか戦争の方が高いもんになってしまうっちゅうことながよ。


ほんじゃき、腹立たしいことや頭にくるようなことが起こったち、怒りの感情をあらわにする前に、相手が何でそんな行動をしたかに対して、まずは理解しょうとする努力が必要やっちゅうことながやき。


そんな、他人を理解しょうとする努力ができて初めて、「理解は怒りよりか高い」っちゅうことが実践できるようになる、そのはじめの一歩を踏み出すことができるっちゅうことながよ。


それができんがやったら、「愛は憎しみよりか高い」も、「平和は戦争よりか気高い」も、絵に描いた餅になってしまうっちゅうことながやき。


令和6年は、怒りをあらわにする前に、まずは他人を理解しょうとする努力、こっからスタートしましょうぜよ!


  
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2023年12月31日

幸せの言の葉<1771>

「ワシらあの苦しみのほとんどは、ワシらあが頭の中で生み出しちゅうに過ぎんがぜよ。」(ダライ・ラマ十四世)


チベット仏教の最高指導者で、ノーベル平和賞を受賞しちゅう、ダライ・ラマ14世(1935〜)さんの言の葉ながやき。


人間の一生のうちにゃあ、それこそ数えきれんばあたくさんの苦しみがあると思われちゅうがよ。


ほんで、そんなたくさんの苦しみを、たいていの人は外からやってくるもんじゃと思いこんじゅうがやき。


けんど、かのダライ・ラマ十四世さんは、そんなたくさんの苦しみのほとんどは、ワシらあが頭の中で生み出しちゅうに過ぎんっちゅうて、喝破するがよ。


実は、外からやってくるもんの大半は、たいていは苦しみそのもんやのうて、苦しみの種ながやき。


ほんじゃきたとえば、何らあの苦しみの種が外からやってきたとして、その種を苦しみやと受け取って、現実に苦しみの芽を芽吹かせてしまうがは、実はワシらあ自身に原因があるっちゅうことながよ。


つまり、何らかの苦しみの種が外からやってきたとしたち、その苦しみの種を苦しみやと受け取らんかって、現実に苦しみの芽を芽吹かせんかったら、そりゃあ苦しみじゃあないなるっちゅうことながやき。


ほいたら確かに、ダライ・ラマ十四世さんの言の葉のとおり、ワシらあの苦しみのほとんどは、ワシらあが頭の中で生み出しちゅうに過ぎんっちゅうんが、真実やっちゅうことになるがよ。


ちゅうこたぁ、苦しみだらけの人生を送るか、それとも楽しいことだらけの素晴らしい人生を送るかは、持って生まれた才能も、生まれ落ちた環境も、お金があるかないからあも、そんなこたぁ何ちゃあ関係のうて、ただ単純にワシらあ自身の考え方次第で決まるっちゅうことながやき!


さあ、もうすぐ令和6年の新年!楽しいことだらけの素晴らしい新年にしましょうぜよ!


良い酔いお年を!


  
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2023年12月24日

幸せの言の葉<1770>

「怖れるっちゅうことばあ怖れるべきもんはないぜよ。」(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)


アメリカ合衆国における環境保護運動の先駆者としての評価が確立されちゅう、作家・思想家・詩人・博物学者、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817〜1862)さんの言の葉ながやき。


人間誰やち、初めてのことに対しちゃあ、怖れる気持ちを持ってしまうもんながやき。


そりゃあ年を取ってベテランの域に達しちょったとしたち、初めてのことに挑戦するときにゃあ、怖れる気持ちが現れてきてしまうもんながよ。


けんど、ホンマに怖れるべきながは、その初めて挑戦することそのもんじゃあないがやき。


初めて挑戦することそのもんらあて、やってみりゃあ直ぐに分かるけんど、実は怖れるべきもんでも何でもない場合が大半ながよ。


ホンマに怖れるべきながは、実は怖れるっちゅうことそのもんながやき。


初めて挑戦すること自体が、ホンマは大したことないことやったとしたち、「怖れる」っちゅうことそのもんによって、まったく身動きができんなったりしてしまうがよ。


つまり、「怖れる」っちゅうこと自体を、一番怖れにゃあいかんっちゅうことながやき。


ほんじゃき、初めての挑戦に怖れを感じたら、まずはわずか一歩でえいき、とにかくやってみることながよ。


ちびっとやちやってみさえすりゃあ、怖れらあて大抵はスッと雲散霧消してしまうもんながぜよ。


  
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2023年12月17日

幸せの言の葉<1769>

「夢を見ることができるやったら、おまさんはそれを叶えられるぜよ。」(ウォルト・ディズニー)


アメリカ合衆国のアニメーション作家・アニメーター・プロデューサー・映画監督・脚本家・実業家で、かのミッキーマウスの生みの親であり、「ディズニーリゾート」の創立者、ウォルト・ディズニー(1901〜1966)さんの言の葉ながやき。


一般的にゃあ、大きな夢を実現することができる人っちゅうんは、元々こぢゃんと才能がある人で、そりゃあ世の中のほんの一握りの人やっちゅうて思われちゅうがよ。


けんど、かのウォルト・ディズニーさんは、そうやのうて、誰やち大きな夢を叶えることができるっちゅうて断言するがやき。


ただし、条件があるがよ。


そりゃあ何かっちゅうたら、夢を見ることができること……もっとハッキリ言やあ、夢を見続けることができることやっちゅうがやき。


ちんまい時にゃあ、こぢゃんと大きな夢を持っちょったとしたち、人間は成長するにつれてドンドン現実的になってしもうて、たいていの人はその夢を見続けることを諦めてしまうもんながよ。


けんどもし、どればあ年をとったち、その夢を諦めることのう、見続けることができるやったら、そりゃあきっと叶えられるっちゅうことながやき。


ただし、ちんまい時に見た夢たぁ、たいていはちくとカタチが変わって叶えられるもんやき、実は夢が叶えられちゅうことに気がつかん人も少のうないがよ。


いま一度、ちんまい時に見た夢を思い出してみいや。


ほんで、その思い出した夢を、ちくと抽象的に変換してみるがやき。


ほいたら、ちんまい時に見た夢を実は既に実現しちゅうやいかっちゅうて、気がつく人も結構おるもんながよ。


ちんまい時に見た夢は、実現する際にゃあ、ちくとカタチを変えて実現するもんやっちゅうことながぜよ。


  
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2023年12月16日

幸せの言の葉<1768>

「喜びの声を発すりゃあ喜びの人となり、悲しみの声を発すりゃあ悲しみの人となるがぜよ。」(内村鑑三)


日本独自の無教会主義を唱えた、キリスト教思想家で文学者の内村鑑三(1861〜1930)さんの言の葉ながやき。


一般的にゃあ、喜ぶようなことがあったら喜びの人になり、悲しむようなことがあったら悲しみの人になるように思われちゅうがよ。


けんど実際にゃあ、かの内村鑑三さんの今回の言の葉のとおり、特に喜ぶようなことが無かったとしたち、喜びの声を発すりゃあ喜びの人となり、特に悲しいことが無かったとしたち、悲しみの声を発すりゃあ悲しみの人になるっちゅうんが、実は真実に近いがやき。


実際にやってみりゃあ実感できるがやけんど、過去の喜びの瞬間らあをリアルに思い出して、笑顔をつくってみるだっけで、人間はいとも簡単に、ホンマに喜びの人になれるもんながよ。


またその反対に、過去の悲しみの瞬間らあをリアルに思い出して、悲しい顔をするだっけで、人間はいとも簡単に、ホンマに悲しみの人になってしまうもんながやき。


ほいたら、たとえ何ちゃあ喜ぶようなことが無かったち、たとえ悲しいことだらけが起こりまくっちょったとしたち、過去の喜びの瞬間らあをリアルに思い出して、笑顔をつくってみるだっけで、人間はいとも簡単に、ホンマに喜びの人になれるっちゅうことながぜよ。


  
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2023年12月10日

幸せの言の葉<1767>

「一番はもちろん尊いがよ。けんど一番よりか尊いビリやち有るがぜよ。」(東井義雄)


兵庫県の浄土真宗東光寺住職で、小学校教師としても奉職し、多くの著作も著した教育者でもある、東井義雄(1912〜1991)さんの言の葉ながやき。


人間、生きていきゆう間にゃあいろんなことがあるき、ビリを走らにゃあならんようなこともあるがよ。


ビリを走りよったら、そりゃあ恥ずかしいもんやき、そんな時ゃあ卑屈になってしまいがちながやき。


けんど、決して卑屈にらあならんと、堂々と一所懸命にビリを走ることができりゃあ、その姿はきっと間違いのう美しいきに、人の心を打つはずながよ。


たとえば、元々こぢゃんと才能のある人が、鼻唄まじりの余裕で、手を抜いて一番を取ったとしたら、そりゃあ確かに凄い才能かもしれんけんど、その姿は決して人の心を打つこたぁないがやき。


けんど、特に才能らあない凡人やち、卑屈になることのう、堂々と一所懸命に走った結果として、それがビリやったとしたら、その姿はきっと人の心を打つがよ。


その姿は、前者の手抜きの一番よりか、間違いのう尊いビリながぜよ!
  
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2023年12月03日

幸せの言の葉<1766>

「如何なるが苦しきもんと問うなりゃあ、人を隔てる心と答えや。」(良寛)


生涯を托鉢で仏道に励み、聖僧といわれるまでになり、特にその書は神品とまでいわれゆう、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶で、歌人・漢詩人・書家でもある、良寛(1758〜1831)さんの言の葉ながやき。


苦しいもんたぁどういうもんかっちゅうて問われたら、そりゃあ人を隔てる心やと答えやっちゅうて、良寛さんは語るがよ。


一般的にゃあ、人生における苦しいことの大半は、人間関係に原因があるといわれるがやき。


ほんじゃき、そんな人間関係に嫌気がさして、いろんな人との関係を疎遠にしたり、周りの人らあとの間に壁をつくったりしてしまうような人が、後をたたんがよ。


けんど、かの良寛さんは、そんな「人を隔てる心」こそが、実は苦しみの根源やっちゅうて喝破するがやき。


結局人間は誰やち、一人じゃあ生きていけんもんながやき、なんぼ人間関係に嫌気がさしたとしたち、周りの人らあと疎遠になったり、周りの人らあとの間に壁をつくったりすりゃあ、ますます人間関係が悪化する方向にまっしぐらになってしもうて、結果として苦しみが増えることになってしまうっちゅうことながよ。


「人間」っちゅう言葉は、人と人との間にあるんが人間やっちゅう意味ながやき、つまりはそんな人と人との間に、自身の存在意義を見出ださにゃあいかんっちゅうことながぜよ。


  
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2023年12月02日

幸せの言の葉<1765>

「貧しゅうたちえいやいか、乏しゅうたちえいやいか、卑しゅうなけりゃあ。」(小野田寛郎)


太平洋戦争が終わった後もフィリピンのジャングルに潜み、戦後29年目にして日本に生還し、帰国後は日本社会に馴染めんとブラジルに移住して、灼熱の原野を切り開いて広大な牧場を作り、その経営で成功をおさめたっちゅう、旧陸軍少尉の小野田寛郎(1922〜2014)さんの言の葉ながやき。


ちなみに小野田さんは昭和59年から、野外活動を通じて子供らあの「生きる力」を育むっちゅう、「自然塾」の活動も続けよったらしいがよ。


この言の葉は、まっことそんな小野田さんを表しちゅうような、堂々たる言の葉ながやき。


「卑しい」たぁ、品位に欠けちゅう、ガツガツしちゅう、意地汚いっちゅうような意味ながよ。


つまり、たとえどればあ貧乏やったとしたち、たとえどればあ何ちゃあ持ってなかったとしたち、品位に欠けるようなことや、ガツガツしたりすることや、意地汚い行いをするようなことらあは一切せんと、人間らしゅうに堂々と生きることはできるっちゅうことながやき。


コロナ禍以降、世の中にゃあますます卑しい行いを平気でする人が増えゆうようながよ。


けんど、たとえどればあ世の中に悪意が蔓延しちゅうように見えようとも、卑しい行いらあせんと、堂々と生きていきたいもんながぜよ。


  
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2023年11月26日

幸せの言の葉<1764>

「絶望の隣にゃあ、希望がそっと座っちゅう。」(やなせたかし)


高知県出身の漫画家、絵本作家、詩人であり、アンパンマンの生みの親として知られ、2025年前期のNHK連続テレビ小説(通称:朝ドラ)「あんぱん」は、奥さんの小松暢(のぶ)さんが主人公のモデルとなる、やなせたかし(1919〜2013)さんの言の葉ながやき。


誰やち、長い人生においちゃあ、手のうちようがないばあのドン底の状態に陥ることがあり、そんなときにゃあ人生に絶望してしまうもんながよ。


ちなみに絶望たぁ、希望を全く失うことであり、望みが一切絶えることっちゅう意味ながやき。


ほいたら、そのドン底状態にゃあ、ホンマに希望が全く皆無ながか、望みが一切皆無ながかっちゅうたら、絶対にそんなこたぁあり得んっちゅうんが真実ながよ。


もし、そのドン底からいつまで経ったち抜け出せいで、いつまで経ったち希望が皆無やっちゅうがやったら、おまさん自身が勝手にいつまでも自らを「絶望」状態に置いてしもうて、希望があったちそれに気づくことができんなってしもうちゅうことが、一番の原因ながやき。


つまり、希望が全くの皆無やっちゅう意味の真の絶望っちゅうんは、人生において起こり得るもんやない、そんなもんは幻やっちゅうことながよ。


どればあのドン底の絶望やったとしたち、必ず、絶対に、そんな絶望のすぐ近くにゃあ、希望がそっと座っちゅうもんながぜよ!


  
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2023年11月25日

幸せの言の葉<1763>

「成功の反対は失敗やのうて『やらんこと』ぜよ。」(佐々木則夫)


2011年FIFA女子W杯ドイツ大会優勝監督で、2011年度FIFA女子年間最優秀監督賞を受賞しちゅう、元サッカー選手でサッカー指導者、佐々木則夫(1958〜)さんの言の葉ながやき。


一般的にゃあ、成功の反対は失敗やと認識されちゅうがよ。


けんど、失敗を成功の反対やと認識してしもうたら、成功の反対である失敗することを恐れてしもうて、「やらんこと」を選んでしまいがちになってしまうがやき。


けんど実は、将来において成功をおさめるためにゃあ、何度失敗したち「やりつづける」ことが、最も重要ながよ。


いかなる成功者やち、実は何度も何度も失敗をし、その経験を糧にして、何度も何度も「やりつづける」ことで、いつしか成功をおさめることができるっちゅうんが、実際のところながやき。


この法則が理解できりゃあ、ほいたら成功の反対は実は失敗やあないっちゅうことに気づくことができるがよ。


失敗たぁ実は成功の原料ともいえる大切な存在ながやき、ほいたら成功の反対は何かっちゅうたら、そりゃあ「やらんこと」やっちゅうことになるがぜよ。


  
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2023年11月23日

幸せの言の葉<1762>

「灼熱の熱さをくぐったもんたぁつゆ思えん静かさで、ここに白磁の壺があるぜよ。」(東井義雄)


兵庫県の浄土真宗東光寺住職で、小学校教師としても奉職し、多くの著作も著した教育者でもある、東井義雄(1912〜1991)さんの言の葉ながやき。


陶器を焼きあげる温度は、800〜1300度っちゅうなかなかの高温らしいがやけんど、磁器を焼きあげる温度は、焼き物の中で最も高い1200〜1400度らしいがよ。


そればあ超高温の灼熱の熱さをくぐっちゅうに、何と白磁の壺の静謐なことかやろうかっちゅうて、この点に東井義雄さんは気づいて、驚きを隠せんかったがやき。


つまり、こういうことながよ。


灼熱の熱さをくぐるような、未曾有のつらい体験をされた方は、その大変な苦労が魂に刻み込まれちょって、普通やったらそのことが全身から滲み出てしまうもんながやき。


ところが、まったくその真逆の人もおるがよ。


灼熱の熱さをくぐるような、未曾有のつらい体験をされちょって、大変な苦労が魂に刻み込まれちゅうはずやに、そんなことらあ微塵も感じさせんと、静謐に淡々と日々を暮らしゆうように見えるっちゅう方も、実際にゃあおるがやき。


そりゃあもしかしたら、前者は陶器のような人で、後者は磁器のような人やと、表現できるかもしれんがよ。


前者も後者も、もちろん素晴らしい人間やっちゅうんは間違いないろうけんど、どちらが強いか、壊れにくいかっちゅうたら、そりゃあ後者の磁器の方やっちゅうことながぜよ。


  
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2023年11月19日

幸せの言の葉<1761>

「悟りっちゅうこたぁ、いかなる場合やち平気で死ぬることやのうて、いかなる場合やち平気で生きちゅうことながぜよ。」(正岡子規)


俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆らあの多方面にわたり創作活動を行うて、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の1人、正岡子規(1867〜1902)さんの言の葉ながやき。


時代劇らあじゃあ、こぢゃんと立派な武士が、完全な負け戦に平然と臨んだり、何のためらいものう平然と切腹したりっちゅう場面が、よう描かれちゅうがよ。


そんな武士の姿は、いかにも悟っちゅうように見えるもんやき、いかなる場合やち平気で死ぬることができることこそが最高の悟りやっちゅうて、勘違いしてしまう人が少のうないがやき。


けんど実は、本当に人間として最高に素晴らしい悟りたぁ、いかなる場合やち平気で死ぬることらあじゃあのうて、その逆の、いかなる場合やち平気で生きちゅうことながよ。


確かに、いかなる場合やち平気で死ぬることができる人っちゅうんは、それなりに悟っちゅうがやろうけんど、実はそりゃあある意味無責任なことで、ある意味あの世に逃げることながやき。


いかなる場合やち平気で死ぬることができるばあの覚悟が持てるやったら、もう一歩進んで、いかなる場合やち平気で生きちゅうばあの、あの世に逃げることのう最期まで責任を持って生ききる覚悟を持っちゅう人の方が、100倍も素晴らしいし、100倍もカッコえいし、100倍も悟っちゅう人ながぜよ!


  
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2023年11月18日

幸せの言の葉<1760>

「失敗は回り道。行き止まりの道やあないぜよ。」(ジグ・ジグラー)


アメリカ合衆国の作家で、自己啓発分野の偉人と呼ばれ、数々のベストセラーを著した、ジグ・ジグラー(1926〜2012)さんの言の葉ながやき。


最近は、失敗することをこぢゃんと怖がっちゅう人が少のうないようながよ。


何で失敗することを怖がるがかっちゅうたら、失敗たぁ八方塞がりの行き止まりの道であり、そんなとんでもない道を選んでしもうた自分を、周りの人らあに見られとうないっちゅうことのようながやき。


けんど実は、失敗たぁ八方塞がりの行き止まりの道でも何でものうて、失敗たぁ回り道のことながよ。


道の選択肢は、それこそ無数にあるがやけんど、失敗っちゅうんは、「この方法じゃあうまいこといかん」っちゅうことが1つ判明したっちゅうことながやき。


つまり、いくつもいくつも失敗すりゃあ、「この方法も、あの方法も……うまいこといかん」っちゅうことが判明したっちゅうことになり、そりゃあドンドン成功に近づいていきゆうっちゅうことながよ。


さらにその道は、一見こぢゃんと遠回りしゆうように見えるけんど、実はたいていの場合、一番の近道やったりするがやき。


実は、失敗は行き止まりの道どころか、失敗は「成功に到る最短の近道」っちゅう名の回り道ながぜよ!


  
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2023年11月12日

幸せの言の葉<1759>

「発明を妨げる最大の障害は、無知やのうて、知っちゅうっちゅう錯覚ながぜよ。」(ダニエル・J・ブーアスティン)


アメリカ合衆国の作家・学者・歴史家で、1974年にピューリッツァー賞を受賞しちゅう、ダニエル・J・ブーアスティン(1914〜2004)さんの言の葉ながやき。


何か新しいことを発見したり発明したりできる人は、知識が豊富な人であり、無知な人にゃあそれができんっちゅうて、一般的にゃあ思われちゅうようながよ。


けんど真実は、無知が新たな発見や発明の障害になるわけやのうて、最大の障害は、実は「自分は知っちゅう」っちゅう錯覚やっちゅうて、かのブーアスティンさんは喝破するがやき。


「コレについちゃあ、自分はもう既に知っちゅう」っちゅうてナンボ自信が満々にあったとしたち、実はまだまだ知らんことが山ばああるもんながよ。


それやに、「あ、コレはもう知り尽くしちゅう!」、「アレについちゃあもうワシの知らんことらあない!」らあて思い込んで、そこをまったく検討せんと、うわべだっけで素通りしてしまう人が後を絶たんがやき。


それが、新たな発見や発明の、最大の障害やっちゅうことながよ。


実は、新たな発見や発明らあの最大のヒントは、「もう知っちゅう」と思い込んじゅうことの中に潜んじゅうもんながぜよ。


  
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2023年11月11日

幸せの言の葉<1758>

「感謝の心が高まりゃあ高まるばあそれに正比例して幸福感が高まっていくがぜよ。」(松下幸之助)


「経営の神様」の異名を持つパナソニックの創業者であり、実業家・発明家・著述家の、松下幸之助(1894〜1989)さんの言の葉ながやき。


現代は、資本主義社会が行き詰まり、さらにコロナ禍がそれに拍車をかけ、世の中にゃあ悪意や不幸が蔓延しちゅうように見えるもんやき、人生に幸福感を感じられん人が増えゆうようながよ。


けんど実は「幸福感」っちゅうもんは、環境や他人のせいじゃあのうて、自分自身の問題ながやき。


たとえ、どればあツラいもんに見える環境におったとしたち、本人が幸福感さえ持っちょりゃあ、その人は幸福やっちゅうことながよ。


ほいたら、どうすりゃあ幸福感を感じることができるがかっちゅうたら、そりゃあ「感謝の心」やっちゅうて、かの松下幸之助さんは喝破するがやき。


どればあ悪意や不幸に満ちあふれちゅう世の中やったとしたち、日々の生活の中にゃあ、少のうたち1日1回以上は必ず、感謝しとうなるような出来事があるはずながよ。


そんな感謝しとうなるような出来事を、日々の生活の中から、まず見つけ出そうとするっちゅうことを、習慣づけにゃあいかんがやき。


ほんで、それが見つかりゃあ、それに対して、まっことありがたいことやっちゅうて、心から感謝することを習慣づけるがよ。


ほいたら、日々の生活の中で、感謝しとうなるような出来事が増えていくことになるがやき。


ほいたら、心から感謝する回数も、当然増えていくがよ。


ほいたら、それに正比例して、幸福感も高まっていくっちゅうことながぜよ。


  
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2023年11月05日

幸せの言の葉<1757>

「100人に食べ物を与えることができいじゃち、1人やったら出来るじゃろ?」(マザー・テレサ)


カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者、さらにカトリック教会の聖人にも列せられちゅう、マザー・テレサ(1910〜1997)さんの言の葉ながよ。


このマザー・テレサさんの言の葉は、こぢゃんと単純なことを言いゆうように聞こえるかもしれんけんど、実はこぢゃんと大切なことをワシらあに教えてくれゆうがやき。


100個の商品を売るこたぁできいじゃち、1個の商品やったら売ることができるじゃろ?


100人の部下を育てあげるこたぁできいじゃち、1人の部下やったら育てあげることができるじゃろ?


100件のアイデアを出すことはできいじゃち、1件のアイデアやったら出せるじゃろ?


100人のお客様を悦ばせることはできいじゃち、1人のお客様を悦ばせるこたぁできるじゃろ?


……ちゅう具合に、いろいろ自分の身の回りで、このテレサさんの言の葉を当てはめて考えてみりゃあ、こぢゃんと大切なことに気づくことができるがよ。


そりゃあ何かっちゅうたら、人間は数字の大きさに萎縮してしもうて、一歩も動けんなってしまうことがあるけんど、どんな分野やっても、どればあ数字が大きゅうたち、そのスタートはたった1個、たった1人、たった1件からやっちゅうんが真実やっちゅうことながやき。


数字の大きさらあに騙されちゃあいかん、どんなことやちまずはたった1個、たった1人、たった1件でえいき、とにかくそのたった一歩を、行動に移してみることながぜよ!


  
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2023年11月04日

幸せの言の葉<1756>

「行動する前から叩かれてしまうこともあるがよ。それやち行動するががホンマの勇気ながやき。」(ハーパー・リー)


「アラバマ物語」で知られちゅうアメリカ合衆国の女性小説家、ハーパー・リー(1926〜2016)さんの言の葉ながよ。


自分のやりたいことがあって、何か行動しょうと思いよった矢先、行動する前やに叩かれてしまうっちゅうことがあるがやき。


そんな時にゃあ、そのやりたいことの「やりたい」気持ちが、一気に萎えてしもうたりするもんながよ。


行動する前やに叩かれるっちゅうこたぁ、よっぽど何か問題があるがやろうかと思うかもしれんけんど、ほとんどの場合、実はその逆のことが多いがやき。


つまり、そのやりたいことは、行動する前に叩いてきた人にとっちゃあこぢゃんと都合の悪いことやけんど、その都合の悪いこたぁ世の中にとっちゃあもはや時代遅れで、変わらにゃあいかん時が来ちゅうっちゅうんが、ほとんどながよ。


ほんじゃき、行動する前から叩かれたりするようなことがあったら、「やりたい」気持ちを萎えさせゆう場合やのうて、逆に「やりたい」気持ちを奮い立たせにゃあいかんっちゅうことながやき。


そんな時に、「やりたい」気持ちを奮い立たせることができるかどうか、それがおまさんがホンマの勇気を持っちゅうかどうかが、ためされゆうっちゅうことながぜよ。


  
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2023年10月29日

幸せの言の葉<1755>

「心の田畑さえ開墾ができりゃあ、世間の荒地を開くことも難しゅうないぜよ。」(二宮尊徳)


江戸時代後期の経世家・農政家・思想家で、経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した、二宮尊徳(1787〜1856)さんの言の葉ながやき。


人間誰やち、自分は何のために生まれてきたがか、自分にゃあ何ができるがか、自分たぁ一体何者ながか……何ひっとつ分からんまんま、この世に生まれてくるがよ。


誰やち、何が何やら何ちゃあ分からんところから、人生をスタートするがやき。


ほんで人生において、いろんな経験を重ねていく中で、日々自分の心に向き合うて、他人の心にも向き合うて、人間の心っちゅうもんの働きを学んでいきゃあ、いつしか自分自身の真の心の主人となれるがよ。


そりゃあつまり、心の田畑が開墾されたっちゅうことながやき。


さらに言やあ、心の開墾なくして、人間の発展らあないっちゅうことながよ。


心の開墾さえできりゃあ、世間の荒地を開くことやち、難しいと思われるような大抵のことらあやち、何じゃち成し遂げることができるがぜよ。


  
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2023年10月28日

幸せの言の葉<1754>

「自分で自分の事をどう思うか。そりゃあ他人からどう思われるかよりか、はるかに重要ぜよ。」(ルキウス・アンナエウス・セネカ)


ユリウス=クラウディウス朝時代のローマ帝国の政治家・哲学者・詩人、ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃〜65年)さんの言の葉ながやき。


誰やち、他人から良う思われたいがやき、自分が他人からどう思われちゅうかは、やっぱし気になるもんながよ。


けんど、自分で自分の事をどう思うかについちゃあ、ほとんどの人が気にもしてないがやないろうか。


かのセネカさんは、他人からどう思われるかよりか、自分で自分の事をどう思うかの方が、はるかに重要やっちゅうて断言しちゅうがやき。


確かに、自己イメージをしっかり持つこたぁ、こぢゃんと重要ながよ。


たとえば、ちくと疲労がたまりまくっちょったり、失敗したりして自己嫌悪に陥っちゅうときらあにゃあ、自己イメージが低うなってしもうちゅうがやき。


そんなときに講演したち、原稿を書いたち、会議で発言したち、商談したち……何をやったち、本来の力の半分どころか、十分の一もよう出さんまんまで終わってしもうたりするもんながよ。


ほんじゃき、どんなときやち、自分の本来持っちゅう力を十二分に発揮するにゃあ、自己イメージを高いまんまで維持しちょくことが、こぢゃんと重要やっちゅうことながやき。


さらに言やあ、「自分で自分の事をどう思うか」が、おまさんの一生を決めるっちゅうたち、過言やないっちゅうことながぜよ。


  
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2023年10月22日

幸せの言の葉<1753>

「反省するこたぁ反省するがやき。けんど一度寝えたら忘れるがぜよ。」(古田敦也)


ヤクルトスワローズで名捕手として一時代を築いた元プロ野球選手で、監督・野球解説者・スポーツキャスター・タレントの、古田敦也(1965〜)さんの言の葉ながよ。


反省するこたぁ、当然大切ながやき。


自分のその日の仕事はどればあのレベルやったか、ベストを尽くすこたぁできたがか、他にまっとえいやり方はなかったがか、あの失敗の理由は何やったがか……ちゅう反省がなけりゃあ、次の飛躍も進歩もないなってしまうがよ。


けんど、あんまり反省に力点を起きすぎてしもうたら、そりゃあ自己卑下につながってしまいがちながやき。


何でワシゃあまたこんな失敗をしてしもうたがやろうとか、ベストを尽くしたつもりやったにダメやったとか…… 反省に力点を起きすぎりゃあ、そっから、ワシゃあ何ちゅう運のない人間ながやろうっちゅう具合に、自己卑下に向こうてしまいがちながよ。


そうなってしまやあ、自信もないなる、モチベーションも低うなる、やる気もでんなる……それが原因でますます結果もでんなるっちゅう、悪循環に陥ってしまうがやき。


ほんじゃき、反省するこたぁ反省したら、その反省で出た答えだっけはシッカリ覚えちょいて、反省した内容らあについちゃあ、一晩寝えたら忘れてしまうばあが、ボッチリやっちゅうことながぜよ。


  
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2023年10月21日

幸せの言の葉<1752>

「他を責めるがは鬼であり、他を裁くがは閻魔であり、不足を思う心は餓鬼であり、人を利用するがは畜生ぜよ。」(松原致遠)


浄土真宗本願寺派西本願寺学僧で、号を無碍道人と称した、松原致遠(1884〜1945)さんの言の葉ながやき。


ワシらあはスッと他人を責めてしまいがちやけんど、松原さんに言わせりゃあそりゃあ地獄の鬼と一緒やっちゅうがよ。


さらに、ワシらあはスッと他人を裁いてしまいがちやけんど、そりゃあ地獄の閻魔大王とおんなじやっちゅうがやき。


また、ワシらあはスッとアレがないコレが足りんっちゅうて不足ばっかし訴えるけんど、そんな心は地獄の餓鬼と一緒やっちゅうがよ。


ほんで、ワシらあはスッと他人を利用しょうとしてしまいがちやけんど、そういうがは地獄の畜生、つまり人に値せんケダモノとおんなじやっちゅうがやき。


ワシらあは何ちゃあ深うに考えもせんと、そん時の感覚でスッと他人を責めたり、他人を裁いたり、不足ばっかし訴えたり、他人を利用しょうとしたりするけんど、そんながは全部地獄の住人とおんなじ行為をしゆうことになるっちゅうがよ。


ワシらあは、口先じゃあ世界を平和にしたいじゃあ、ユートピアにしたいじゃあ言いゆうけんど、この世の中を地獄そっくりにしてしまいゆうがは、他ならんワシらあ自身やないがかよっちゅう、松原さんの叱咤の声が聞こえてくるがぜよ!


  
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2023年10月15日

幸せの言の葉<1751>

「天は万物を生みて所有せん。育ててこれを支配せん。」(老子)


古代中国の、無為自然を説いた哲学者・思想家、老子(生没年不明)さんの言の葉ながやき。


確かに天は、万物を生んで万物を育ててくれゆうけんど、その一切を所有もしてないし、支配もしてないがよ。


ところがその天が生んで天が育ててくれたはずのワシらあ人間は、自分がつくったっちゅうて所有したがり、自分が育てたっちゅうて支配したがるがやき。


ワシらあ人間が、あまりに足ることを知らんと所有したがり、支配したがるきに、いつまで経ったち世界中にゃあ紛争が絶えんっちゅうことになるとも言えるがよ。


この世の万物は、天が生んで天が育てたもんやっちゅう意識を、まっと世界中の人間が持つことができりゃあ、所有じゃあ支配じゃあっちゅう言葉自体が意味を成さんなって、この世から紛争が消えていくがやないろうかのう?


  
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